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もはや説明が不要かとも思われますが、「不肖・宮嶋」で知られる報道カメラマン宮嶋茂樹氏の登場です。

husyo-3.jpg (15424 バイト)<宮嶋 茂樹(みやじま しげき)氏とは>

1961年生まれ。兵庫県明石市出身の報道カメラマン。通称「不肖・宮嶋」。

箸より先にカメラを持ち、日大芸術学部写真学科時代から写真週刊誌「FRIDAY」の専属カメラマンとして活躍。後にフリーになり、現在は『週刊文春』を中心に活躍。

96年に東京拘置所のオウム真理教教祖・麻原彰晃の撮影に成功、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を受賞。

潜入取材を得意とし、ターゲットは売春婦からローマ法王まで。著作で明かされるその潜入手口はルパン三世か007かっ!?

また世界のあらゆる戦場にも出向き、ルーマニア、コソボ、アフガン、イラクなど、「爆弾が降り、多くの人が肉片となり、銃弾と悲鳴が止まらない地(著作「サマワのいちばん暑い日」より)」を見つめた写真を撮り続ける。

エッセイやルポルタージュなど数多く執筆。関西弁で繰り広げられるコミカルな文体と有り得ない体験談は必笑もので、2ページに一回は「この人バカじゃないのぉ!」と笑い転げること間違いなし。

「これまでであった犯罪者は一千人以上、見てきた死体の山もゆうに一千体を越える」

向かうところ敵なしの宮嶋氏はまた、制覇していない飾り窓はないと豪語するほど(!)、世界各地の港に女が待っているという男のロマンを現実のものとした漢でもあります。(氏はバツイチ、独身。A型。)

注:強引に撮らせていただいた2ショット写真、やや引き気味の宮嶋氏はなぜか銃を片手にポーズ。

*

さて、インタビューすべくご自宅を訪ねたのですが、なかなかお部屋にたどり着けませんっ!!

husyo-4.jpg (10818 バイト)我々取材班が見たものはっ!?

「玄関開けたら2歩でプラモ!?」 天井まで積み上げられたプラモデルの箱に絶句・・・。

「因みに、ここに有るのはみんなまだ作ってないヤツですわ。」

「一応分類していて、航空機、戦艦、その他・・・。いや〜、弾薬だけで600円もするんですよ。全く。」

このコレクションがどれほどプレミア物なのかという講義をして下さったのですが、熱く語る宮嶋氏、その内私たち取材陣の存在を忘れてしまって・・・。husyo-5.jpg (20232 バイト)

そのお気持ち判ります。だって私も漫画喫茶に行ったらこ〜いう状態になってますから〜(苦笑)

プラモを掻き分け、奥に進むと・・・、サルマタケの生えそうな万年床が目の前に飛び込んできました(汗)

私 「お忙しいですし、お掃除なかなかできませんよね〜」

不肖「え!?今日これでも片付けたんですけど。あ、この布団ですか?私、この布団の上だけで生活してますから。メシ食うのも、原稿書くのも全部ココ。

「立って半畳、寝て一畳」を実践されているお方であらせられました。

布団の横には何冊もの住所録を発見。集まった名刺を書き写している最中でした。

husyo-6.jpg (8573 バイト)実は宮嶋さんは一度会った人には必ず年賀状を書くそうで、しかも手書きなのです。(PCが使えないからというツッコミは置いといて)

私も頂いているのですが、こんなにお忙しく、また取材等で覚えきれないほどたくさんの出逢いがあるのに、なんて誠実な方なんだろうと氏の意外な一面を見て感動しました。(今年の年賀状はイラク・フセイン像の前の宮嶋氏)

husyo-8.jpg (9645 バイト)そして台所には食器棚の変わりに大きな特注のガラスケースがいくつも置かれていました。中に飾られているのは、もちろんプラモ!またかい!(笑)

こちらはサマワに派遣された「陸上自衛隊イラク派遣部隊員」だそうです。

左から2番目のフィギュアは「ヒゲの佐藤隊長」をイメージして塗った力作(製作日数1ヶ月)とか。さすが自衛隊マニアとしてその名を轟かせる宮嶋氏らしいコレクションです。

husyo-7.jpg (8027 バイト)また、「FUSHOU MIYAJIMA」と自分の名前を冠した航空機も飾られていました。

某業界記者の話によると『自分が偉大な報道カメラマン(巨額の富を得て)になって、取材用の自家用ジェット機を購入した』という妄想・模型らしいです(笑)

本当はご自身そっくりの「不肖・宮嶋フィギュア」もあるのですが、現在行われている写真展に展示されているため不在でした。

husyo-2.jpg (11186 バイト)布団の横に置かれた机がアトリエ。

ただ今製作中のプラモは、『自衛隊ヘリに救助される某報道カメラマン』だそうで、実際に救助されたことのある同僚の方の顔をちゃんと描いていらっしゃいました・・・(汗)

「んー、なんとも私とは全く違う世界に生きてるんだなぁ・・・」とつぶやく私。

「今日はインタビューより『自宅探訪』にでも変更した方が面白そうだな。怪しい物がいっぱいだぁ。と笑うカメラマンT氏。帰り際、宮嶋邸の怪しい機材と自分たちの機材が混じってしまって大変な目に遭いました(笑)

*

さて、インタビュー開始。まず「ずっと気になっていることが・・・」、モジモジと切り出すと。「何でもどうぞ」とのお言葉に甘え、勇気を出して聞いてみました。

「結局、真珠は入れたんですかっ!?」

「・・・。」

あ、宮嶋さん引いちゃった。

すいません。どうしても気になって。ご存じない方のために軽く説明しますと、宮嶋氏は南極船取材の折、局部に真珠を埋めることを決意。数ヶ月に及ぶ南極生活で、南極なら日本の法が及ばないこと、極寒の地なので細菌の心配が無いことなどを考慮(?)し綿密な計画を立てる。

南米で大粒の真珠を購入し、いざ同行した船医に手術を申し出たものの・・・!?(詳しくは「不肖・宮嶋 撮ってくるぞと喧しく!〜ダッチ・ワイフと真珠を持って!」<祥伝社黄金文庫>にて)

宮 「いえ。止められました。○○美容外科医院の先生にも『アホか』って。」

原 「じゃあ、諦めちゃったわけですか?」

宮 「いや〜、諦めたというか、アレ、あんまり良くないらしくて。男性にも、女性にも。」

だそうです。その後20分ほど真珠話で盛り上がりました。

いや、インタビューってこれで終わりじゃないですよ(汗)

こっからが、インタビュー本編です!

*

<宮嶋氏インタビュー本編> (一部NNN24特番『ニュースと私』より抜粋)

「報道カメラマンから見る『テレビ報道』とは?」

私はフリーのカメラマンですから、単独で集められる情報が限られていますからねぇ。特にテレビはつけっ放しですね。『電波はスピードが命』ですから、速報のチャイムが鳴ると振り返りますわ。

私、テレビもつけっ放しだけど、昔、「コーラスライン」っちゅうミュージカルをおネェちゃん(注:姉ではない)と観に行った時も、片耳にイヤホンして○○無線を聞きながら観てたら、「あんた何やってんの!」って怒られたこともありましたわ(笑)

「実際にテレビの速報で取材に出たことは?」

多々ありますよ。長期間追っかけてる現場以外は。テレビで「事情聴取を開始した模様」なんて報道してたら、まず「これは48時間以内に逮捕があるか!?」なんて構えますね。

そういえば、1981年のロス疑惑で三浦和義氏が逮捕される瞬間、今まで全然現場に来なかったNHKが来た時には『お、これは確実だ!』と思いましたねえ。ま、NHKは地震雲みたいな感じですかねぇ(笑)

「テレビ報道に『しっかりせい!』と思うことは?」

自己規制掛けすぎなんじゃないですかね。『手錠』にモザイク掛けたって意味が無いですよ。連行されてる『顔』撮ってる時点で、『手錠』を隠す程度の人権配慮なんて。

林真須美被告の着てた「mikihouse」のトレーナーも、ミキハウスから「ブランドイメージを損ねる」ちゅうてクレーム付けられたからモザイク掛けたらしいけど、私らにしてみれば、真須美被告が何着ているかも一つの情報ですからね。

「写真だからこそ出来ることは?」

husyo-1.jpg (10418 バイト)今回のスマトラ沖のツナミでも、日本の報道は全てプーケットに行った。日本人の被害者がいなかったから。アチェに行ったのは私くらい。でもあそこが一番被害が目に見えてひどくてね。(水死じゃなく)圧死なんですよ、圧死。ツナミによって建物やら車やらが流されたのに人間が挟まれて頭をつぶされて・・・。

だけど、テレビだから死体を映せない。圧死を伝えらんない。誰が決めたんだか判らないけど。

テレビカメラマンも苦悩しますよね。そこらじゅう死体だらけだから映せるものが無い。

まあ、その分私が仕事が出来ますので、私が行かせて頂きますけど。

「東京拘置所の麻原彰晃被告の車イス姿をスクープするなど数々の武勇伝がありますが、スクープ写真を撮る秘訣は?」

いつか撮れると信じるしかない。後は、他人様と違う発想すれば。他の人がいない方向へ行く。同業者とはちょっと違う発想すると比較的撮りやすいですよ。

麻原彰晃をどうやって撮ったかは墓場まで持っていく秘密です。

「報道カメラマンとしての存在意義をどう感じてますか?時に身の危険を冒してまで、何が宮嶋さんを駆り立てるのですか?」

そりゃあ自分の撮った写真を持って国連や国会乗り込んで、「おら、こんな事が起こっとんじゃい」なんてことがいつかあったらすごい事でしょうけど。でも、始めからそんなこと期待して撮ってるワケじゃないですから。そうなったら本当にスゴイことだけど、私の場合は好奇心ですよ。やっぱり。自分の目で見たい!。

その僕の写真に興味を持ってくれて、その結果誰かの不幸な環境が改善されるなんて事に繋がったら良いですけど。

僕は、一つの問題とか一つの地域を専門的に追い続けるカメラマンというよりは、自分の興味のあることにパクっと食い付くフットワークの良いカメラマンでいたいと思います。

「ズバリ宮嶋さんにとってニュースとは?」

飯のタネ!

*

語り終えた宮嶋氏は一つの古ぼけたライカを私たちに見せてくれました。それは一年前イラクで銃撃され亡くなったジャーナリスト橋田伸介さんの形見の品でした。

「橋田さんの奥さんからもらったんですわ。『あなたに持ってて欲しいの』って託されちゃいまして・・・。まぁ・・・。」

 

―インタビューを終えて―

写真から想像していた宮嶋氏は、実は実際にお会いしてみると、驚くほどシャイだ。

自分からはしゃべらず、質問されたことにボソッと関西弁で答える。毒舌を交えるところに、ユーモアとサービス精神を感じさせる。

そう、今回残念なことに私は宮嶋茂樹という人物と、何より作品の魅力を語るには力不足だと痛感した。

なぜなら自身を語るのに氏は他人の力を借りる必要が無い。自分が勝負する手段、場所を心得ている人なのであろう。それほど表現者として強烈な存在感と才能であることが判ったからだ。

以前、宮嶋氏の写真展でお話させて頂いたときに、お聞きしたことがある。

毒の効いた関西弁のキャプションの面白さも人気ですよね?コメントは写真を撮った後に考えるんですか?撮る瞬間に考えるんですか?」

「う〜ん、自分の場合、同時です。『これを言いたいからこう撮る』とか『こう撮れたからこう言う』ちゅう違いくらいで、とにかく一緒にピンときます。」

一般に写真の魅力というのは、被写体や構図など写真自体の「面白さ」にあるのだろうが、宮嶋氏は違う。

『真実』を「写真」で切り取り、「言葉」で切り裂く。

「毒入りカレー事件」の林真須美被告にホースで水を掛けられながら一歩も退かずシャッターを切った写真。ニラミを利かした真須美被告に対して付けられたキャプションは「この目がカタギの目なんか?」。

そして多くの戦場を見つめ続けた宮嶋氏だからこその言葉が胸に突き刺さる。

「平和ボケより 戦争ボケ」

「人類の有史以来、戦争がなかった時代は一秒もない」

 

2005.7.23 原元美紀  

 

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