旅のおわり 2002年6月2日(日)
1985年 ワールドトレードセンター健在の摩天楼
2002年 現在の摩天楼
バッテリーパークではあんなに見かけた「I Love NY」Tシャツ、セントラルパークではもう見かけなかった。ブロードウェイの全ての劇場は華やかなネオンを灯し、私たちを楽しませてくれる。
自由の女神はそのたいまつで変わらず希望の光を照らしてくれている。ウォール街はすでにその活気を取り戻していた。そしてエンパイアステートビルから見た夜景は冴え冴えとしてココロに染み入る。
NYを発つ5日目の朝、早起きしてHOTELの周辺を散歩してみた。やがて、ビルとビルの隙間から、朝日に照らされうっすら白く輝くエンパイアが私の目に飛び込んできた。
あまりの美しさにカメラのシャターを切る。そしてぼんやりその場に佇んでいた。すると一人の40代くらいの女性が話し掛けてくれた。
女性 「ね〜、綺麗でしょ〜う。私は毎日この時間ココを通るんだけど、晴れた朝のエンパイアの眺めは素敵よ!そう思わない?」
私 「はい、その通りですね。」
女性 「時々ね、エンパイアの周りに掛かってる雲と空がピンク色に染まることがあるのよ。それはもう言葉にならないくらい美しくって、そうね・・・、ファンタジーって想えるくらい綺麗なの。」
私 「そうなんですか。私、展望台に昇って夜景見ましたよ。あなたの言うように、とってもファンタジーでした。」
女性 「あら、そう、良かった。またNYに来てね。」
そう言って、ビジネス・ウーマンらしきニューヨーカーの女性は、日常へと吸い込まれいきました。ありがとう・・・。
ジュリアーニ前市長が呼びかけた「通常の生活に戻ろう」が、そこにあった。ここはニューヨーカー達の日常のスペース。
そう、この街はテロの後も、私たちを引きつけて止まない魅力はなに一つ失われていなかった。
私がグラウンド・ゼロのプラット・フォームに上ったのは救助作業終了の記念式典の5月30日。そのすぐ後、プラット・フォームは閉鎖されました。
9ヶ月もの間グラウンド・ゼロを取り囲んでいた壁は取り払われ、金網になり、周辺の道路も通行止めが解除されたからです。
もうプラット・フォームに上がらなくても、グラウンド・ゼロの様子が直接見られるようになったのです。
あとがき 2002年初秋
NY取材を決めてから資料集めに奔走した。でも、テロ後に書かれた旅行ガイドが1冊しか見つけられなかったことも私を駆り立てた。「NYの現状を知りたい。NYの今をこの目で見たい」という思いから始まった旅・・・。短い期間でしたが、私なりに今現在のニューヨ−クを彩る「光と影」を観じることができました。
「旅のはじまり」でも触れましたが、阪神淡路大震災の記憶が、やはり日本人には思い出されるところです。人災(テロ)と天災とは違う(?)といった比較論をするつもりではなく、ある日突然に「大切な家族・友人・恋人を失うという悲しみ」は同じであると単純に思いました。
旅の2日目で、私の友人がABCテレビのリポーターにインタビューされた際、文中にも書きましたが、ある質問の前で沈黙(Silence For a While)をしました。その瞬間、「原爆ドーム」と「震災の時のニュース映像」が脳裏をよぎった・・・、と友人は後で語ってくれました。
今回のテロ事件をどう解釈するか、その切り口というか糸口さえも見つからない複雑さを感じています。もちろん宗教問題が根底に深くあるのでしょうが、だからといってテロリストの犯行動機を検証するために、人はゾロアスター教(拝火教)にまで歴史知識をさかのぼらなければならないのでしょうか・・・。アメリカの正義を貫く姿とは、自分だけの正しさになりかねない心理学的に云う「ダーティー・ハリー・メンタリティー」なのでしょうか。(In what we trust?)
「人」が「神」をも裁く時代。「人」と「神」との砂漠時代。・・・難しいコトは解らないけど、
「ほらそこに見えるでしょう 煙の中で目覚める花が
生まれては消えてゆく そんな嘘のような世界で しがみつく腕伸ばしても ただ愛したい 愛していたい・・・」
21世紀を物語る「新しい神話」が今、生まれようとしています。
最後になりましたが、
今回の私のNY旅行をバックアップしてくださった旅行代理店「トラベル・ファクトリー関西」の皆様に、
心から感謝致します。