Sy251.gif (1863 バイト) 日目 2002年5月30日

偶然と言えば偶然ですが、奇しくもこの日「GROUND ZERO(グラウンド・ゼロ)」における行方不明者の捜索救助活動が打ち切られ、それに伴い犠牲者の冥福を祈る追悼記念式典が執り行われました。

N.Y148.jpg (16032 バイト)巨大ビル倒壊による瓦礫の山は、消防士や作業員の努力によりそのほとんどが取り除かれました。しかし1400人以上にも及ぶ犠牲者の行方が確認されないままこの8ヵ月半休むことなく行われた遺体の捜索作業は、人々の無念さの中で終了されることになりました。

ワールド・トレード・センターの2つ目のビルが倒壊したのと同じ時刻(午前10時29分)に式典が始まると聞き、私はホテルからタクシーを飛ばした。式典の行われる場所を車中で運転手さんに教えてもらい、出来るだけ現場の近くに連れて行ってくれるよう頼む。しかし交通規制もあった為か、歩いてあと10分程のエリアから道が渋滞し始め、私は徒歩ルートを教えてもらいタクシーを降りる。

当前のごとく、その日のニューヨークは第2のテロ予告の噂もあり、街全体が厳重な警戒態勢の下にあった。街角という街角に警官が立ち式典会場方向へ人々を誘導しつつも不審者の侵入に眼を光らせていた。私は人波に逆らうことなく歩き、一般人が最も現場に近付ける場所を目指した。式典会場には関係者しか立ち入る事が許されていなかった為。

N.Y84.jpg (21729 バイト)たどり着いたその場所には、「KEEP OUT」 と書かれた境界線テープが張られてあり、どうやら最前列に並べたようだった。気づけば続々と人が集まる・・・。式典のあと葬列のパレードが行われる予定だった為、そのルートの沿道に見渡す限り人が列を成していた。

この人たちの中に、一体どれほどの犠牲者の家族が含まれているか等は想像もつかない感じ・・・。というか皆一様に静粛な面持ちでその場に居合わせていて、そんなフィード・バックされたあの日以来の脱力感が、今日という日常のワン・シーンを支配していた。

爆心地の上空には、今日も変わらず飛行機が空高く我々の頭上を飛び交うシーンが繰り返され、それを見ては余計信じられないあの日の情景が眼前にオーバー・ラップする。

「9・11」のあの日、一体何がココで起きたのかを正確に窺い知ることなど、誰にも出来ないかも知れない。こんな見解の不安定な曖昧さが、真実をより良く語ってくれているような気もした。

それだけ、私たちそれぞれ一人一人の心に強く、この「BLANK」(空白)はあの日・・・刻まれたのだろう。

N.Y86.jpg (16159 バイト)式典の開会を待つ間、私の友人の左隣にアジア系の若い女の子が一人いる事に気づいた。なんとなく気になり話し掛けようと思いつつも、躊躇ってしまった。なぜなら、彼女は時おり瞳を閉じまた遠くを見つめながら、そっと流れる涙を静かに受け入れていた。その場にいた遺族のほとんどがそうであるように・・・。

間もなく式典が始まろうという頃、現場からTV中継リポートをするだろうマスコミ関係者の動きが一段と慌しくなって来た。そんな中、全米三大NEWSネットワーク、ABCテレビの女性リポーターがマイクを持ってなぜか真っ直ぐこちらにやってくる。なんと、私の友人にインタビューをしに来たのだ。

私は自分のヒアリング能力限界で、友人とそのリポーターの会話を聞き逃さんと試みた。最初こそよくある挨拶程度の質疑応答であったけど、さすがに後半になると、ある意味「核心」をつく質問がカメラの前で投げ掛けられた。

ABC 「and so ah〜,Why you have to come here today? I mean, ・・・Why you?

友人 「Well I,(Silence for a while・・・)It's Kinda difficult question to reply for Non New Yorkers like me,isn't it?」

友人がそう一見答えになってない応え方をすると、女性リポーターは「OK」と言い、まるでそのやり取りの中に何か暗黙の了解があったかの如く、それ以上なにも聞いて来なかった。後で友人にその真意を尋ねると、こういう事だったらしい。

つまり、ニューヨークの人々の間には、グラウンド・ゼロをどこか観光地のごとく新しい名所として受け取られる事に対する抵抗感があるとする人々の考えと、犠牲者の遺族だけに限らず一人でも多くの人間に関心を持って貰う為に出来るだけ現場を開放するべきだとする人達の考えがある為、その「矛盾」を背景にリポーターは敢えて少し皮肉っぽい質問をし得たのだとのこと。

実際問題として、観光収入で成り立っているところの大きいニューヨーク市制としても、この辺のジレンマは突かれると痛い点ではあった。さらに続けて友人は、こう自分の思いを語ってくれた。

「その問題は別としても、自分がココに来る事に果たしてどんな意味があるんだろうか?つまり、一体何が自分に出来るんだろうか?実はそればかり考えてココに来た・・・。どんな理屈を並べても所詮、観光の「一環」だと言われかねないだろうし・・・。結局その答えは見つからないままココへ来てしまって、案の定というか、自分と同じ問いを他人から駄目押しとばかりに突きつけられてしまったかもね・・・。」

N.Y44.jpg (53053 バイト)友人はそう言って黙ったまま式典会場の方を見つめていた。私も一連の会話を聞き、様々な思いを巡らせながら一人立ち尽くしていた。

同じく今ここにいる遺族の人たちは、「あの時、自分は呆然と崩れるビルを見ている(逃げる)だけで精一杯だった・・・」と自分を責める気持ちが誰よりもずっと深く心に引っ掛かり続けているのかも知れなかった。

私がいた場所からは直接、式典の様子を窺い知ることは出来なかったけれど、辺りを急により静粛な雰囲気が包むのが分かった。後で聞いた話では、特に形式的なスピーチもなく式は開会されたとのこと。それでもその追悼の響き(始まり)が人波を通じ、群集に伝わり広がって行ったのが感じられた。

黙祷する人達・・・、それぞれが思い思いにそこにある「区切り」の意識を共有していた。そして鳴り響いた祈りの鐘の音・・・。どこまでも空に吸い込まれて消えない・・・。その鐘の音に込められた復興にかける人々の願い、そしてあらゆる犠牲者たちへの祈りが街にあふれていた。

なんとなく隣に目をやると、さきほどの女の子の肩を抱きよせ、深い悲しみを湛えた彼女の瞳を受け止めている友人の姿が目に映った。そんな友人のその場の行動には、全く不自然さは感じられなかった。むしろ私はその光景に、「あてのない、だけど終わることはない希望を感じていた。

恐らく彼女はさっきの友人のインタビューを聞いていたに違いなかっただろう。それでも彼女が異邦人である友人に対し、理屈抜きで心をひととき開いてくれた事が嬉しかった。

なぜならば、開放すべきはそんな彼女たちの「ココロ」であり、グラウンド・ゼロとかいう「ココ」でもなんでも無いのだから・・・。

N.Y147.jpg (15835 バイト)私は思った。自分には何が出来るんだろうかと悩んでいた友人の葛藤に、きっと答えが出されたんじゃないかな・・・と。私たち一人一人の力なんて、とても小さい。でも、もしたった一分でも、たった一人でも見守って上げられるんだとしたら・・・、もしそれをみんながそれぞれ出来たとしたら、私たちの力はとても大きくなるかも。

何をするかは重要ではなく、たとえば人の涙を前にして自然に湧き出る人間の「シンプル」な行為がとても大切であるかも知れないと感じた。

この瞬間まで、その女の子と友人はそれぞれ違う立場で葛藤をし、ある意味で、そんな出口の見えない心の解放の為の「準備」が、互いの内に出来上がっていたからこそ、二人は出会えたんだと思った。偶然ではなく、必然として。

人種を問わず、誰からも等しい距離にいてくれる・・・、そんな神さまからの二人への「ギフト」を垣間見たって感じでした。

N.Y87b.jpg (21325 バイト)哀愁を帯びたバグパイプの音が響き渡り、およそ30分程の式典の終わりを告げた。その後はパレード(葬列)がニューヨークの街を15ブロックほど行進されました。始めに私たちの前に現れたのは、星条旗で覆われた担架を乗せたトレーラーでした。

もちろん中には誰も乗っていません。懸命な努力にも関わらず、発見することの出来なかった犠牲者を象徴しているのです。

N.Y103.jpg (15306 バイト)その後にはNY市警、NY消防士の列が続きました。特に命がけで実際に救助作業に携わった消防士たちには、ひときわ大きな拍手と歓声が起こり、沿道の人たちが感謝の気持を表していました。その瞬間、それまで実感の沸かなかった私に、テロの悲劇が現実味を帯びて見えてきました。

「現場をこの目で見てみたい」・・・、その方法が一つあった。

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これまで現場は、300メートルほど離れた道路からしか見ることが出来ませんでした。

しかし、昨年12月30日、グラウンド・ゼロをもっと間近で見られるように、プラット・フォーム(展望台)が造られたのです。高さ3.5メートルの木造の展望台に上がれば、現場までおよそ100メートルのところまで近づくことが出来るのです。

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まずはプラット・フォームに上がるチケットを手に入れなければなりません。

もちろんプラット・フォームは遺族の方々の為に設置されたものですが、やはり見物人を現場から安全な場所に誘導させるという意味もありました。

混乱を避ける為に現場から徒歩15分ほど離れたサウス・ストリート・シーポートのチケット売り場で、入場チケットが無料で配布されていて、みんな往来を繰り返していました。

この日は平日だった為かさほど混まず、すぐに受け取ることができました。

N.Y40.jpg (17045 バイト)これがそのプラットフォームへ入場する為のチケット。

30分毎に300人が入場できるシステムになっていました。

私の場合、5月30日の午後2:00〜2:30と記されています。

チケットを手に再びグラウンド・ゼロへ。

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グラウンド・ゼロのすぐ脇、つまり現場から道一本隔てた場所にセント・ポール教会があります。

テロが起きた当日から、その教会は、現場から次々運び出される負傷者や遺体を一時収容する場所になっていました。

 

 

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ニュース映像で良く目にした星条旗遺族の持ち寄った写真等は、その教会の柵に、敷地を囲むように飾られていました。

世界各国たくさんの人から寄せられたメッセージや写真、Tシャツなどが、所狭しと飾られています。

その中には、おそらく日本人遺族による千羽鶴も吊るされてありました。

 

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近くで見ると、少しが積もっていたり、汚れたりしているのが判って、この8ヶ月間の月日の重さを感じさせます。

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2002年5月31日午後2時。ゲートをくぐり、一歩一歩辺りの空気を確かめるように進む。

すぐ右隣の教会の墓地から生い茂った樹々が大きな陰を広げているせいか、冷んやりとした重苦しい雰囲気に襲われる。話をしている人も少ない。

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かつて地下鉄の駅入口だった場所に掲げられていた、日本と韓国の方々による寄せ書きに目を奪われる。

日本でも24名の方が犠牲になりました。

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プラットフォームを形成するベニヤ板の壁。

そのほとんどが、「テロへの報復」や「戦争」なんかより、ただひたすら「平和」を願うメッセージで壁は埋め尽くされていました。

 

そして、プラットフォームの頂上。

・・・!?

何も無い。

複雑な思いを胸にこの道を上がってきた私を待ち受けていたのは、ぽっかりと空いた空間それまでの重苦しい雰囲気を焼き尽くすかのように、木造プラットフォームは太陽の光をサンサンと浴び、私たちと目の前に広がる空間を射続けた。

あまりのギャップに私は言葉を失ってしまいました。頭の整理が追いつかない・・・。

N.Y105.jpg (20633 バイト)これが、プラットフォームに上がって一番間近で見ることのできたグラウンドゼロの様子。(広過ぎて半分だけですが)

目の前に広がるのは、巨大な工事現場の様に姿を変えたグラウンド・ゼロです。

ここには、「商業の国連」と呼ばれ、一日5万人が働き、10万人もの人々が訪れていたワールドトレードセンターのツインタワーがそびえ立っていたはずでした。

しかし、8か月半前のテロ直後には、200万トンのガレキが数十メートルの高さまで積み重なっていました。

N.Y186.jpg (17654 バイト)今、こうしてプラット・フォームから見下ろし私の目に映るのは、地下まで堀り下げられた巨大な空間・・・。110階建てのツインタワーを思わせるものは何もありません。

あたり一面ポッカリと無いという事が、その場に立つ人間の感傷さえも麻痺させてしまう位、「空白(ブランク)」なのです。

NYの多くの人が、「辛い現実だけど、忘れ去られてしまうよりも、やはり多くの人に見て欲しい。胸に刻んでいて欲しいという気持ちの方が大きいです。」と語ってくれました。

N.Y110.jpg (34317 バイト)この場所に限り、観光気分で行くことに対し、罪悪感みたいなモノを感じている人も多いのかと思います。

私自身ここにきて見るまで判りませんでした。けれど、この地を訪れ、現実を目の当たりにし、ここに暮らしている人たちの話を聞けて良かった。そして私はこの現地の人たちの気持ちをやはり伝えたいと思いました。少しでも良いから私なりに何かを・・・。

もし、NYに行くことを迷っている人がいたり、どこかに行きたいけど、どこに行こうか決まっていない人がるなら、私は今現在のこの街・ニューヨークを見て来て欲しいなと思います。

きっとあなたにとっても、貴重な発見があると想います・・・。

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周辺のみやげ物の屋台では、NY市警や消防のキャップやTシャツ、ワールドトレードセンターの置物やポスターなどが並べられています。エンパイアステートビルや自由の女神とともにNYみやげのひとつに、ワールドトレードセンター関連のグッズが加わったのです。

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ワールドトレードセンターに一番近い消防署

テロ事件が勃発したとき、現場からほど近いこの消防署からも隊員が急行し、そして何人もが帰らぬ人となりました。NY消防本部の殉職者は343人にものぼります。

命をかけて救出作業行った消防士に捧げられる感謝のメッセージやお花は、今も絶えることがありません。

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グラウンド・ゼロから歩いて5分ほどでウォール街にたどり着きます。

N.Y78.jpg (17080 バイト)ニュース映像にもよく登場するNY証券取引所。

アメリカ最大の証券取引所であり、世界金融市場のけん引役。

大きな星条旗が印象的です。

株の取引の様子が見学できるコースが人気だったのですが、残念ながらテロへの警戒から、現在は中止されています。

「ニュース朝いち430」のNY中継コーナーで、毎朝オープニングベルの様子を紹介していただけに、見学するのを楽しみにしていたのですが…。

 

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そのニューヨーク証券取引所の向かいは、フェデラルホール・ナショナルメモリアル。

初代米大統領ジョージ・ワシントンが就任宣誓式を行ったところです。

ワシントン像の周りの階段にはのんびりと日向ぼっこをするウォール街のビジネスマンが一杯。

私もちょっと腰掛けてみたりして、大統領の存在を感じて?か、なんだかゆったりした気分でした。

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取材を終え、夕方、日本テレビNY支局へ。支局はロックフェラーセンタービルの一角にあります。

N.Y178.jpg (16817 バイト)いつも「ニュース朝いち430」のNY中継でお世話になっていたスタッフのみなさんと念願のご対面ができました♪

テロ関連やNY市長選など骨太なリポートからあのチョコレート風呂体験まで、硬軟幅広い取材が持ち味の畑山篤・支局長

 

N.Y179.jpg (14584 バイト)おだやかな物腰と甘いマスク、かと思うと吉野家NY支店進出にただならぬこだわりのリポートを見せ、美味しそうに牛丼をかっ喰らい母性本能をくすぐる(?高垣浩司・記者。

熱心にNYの遊び場を紹介して頂きました。

(NYで「ピアノ・バー」というと、・・・○○のコトなんだそうです。)

 

N.Y71.jpg (20079 バイト)カチューシャ代わりにちょこんと乗せたサングラスがトレードマークの池内千香子・記者。

夢の乗り物ジンジャーを駆ったり、スタンガンに打たれたり(!)体験リポートがお得意!

実はこの日グラウンド・ゼロを取材中に現場でバッタリ遭遇してしまいました!通りの向こうからやって来る池内さんに「TVと同じ顔なのですぐ判りましたよ」と声を掛けたら、池内さんも「私だって!」と笑われました。

NY支局は支局長のほがらかなお人柄か、まるで「アリー・マイ・ラヴ」に出てくるオフィスの様な楽しさ。ウラヤマシイ環境です。

それにしても、TVで見るNYスタジオの豪華さは評判だったのですが、実際に見てみて、ビックリ!!

「え!?こんなんだったの?」と訪れた誰もが驚くそうです。

壁面に埋め込まれたパネルとキャスター席がTVを通すと・・・!?ぜひ見比べてみてください!!

いや〜、TVマジックってすごいな。セットの美術さんと照明さんの勝利です!

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さて、ロックフェラーセンターを出て、5番街をぶらぶら(?)歩く。1時間も!

だって、イエローキャブが全くつかまらないんだもんっ!!バスも来ないしっ!

(実はNYの道路はほとんどが一方通行で、バスの停留所は道路の右側にあるのです。私はつい日本での習慣から左側の歩道でバスの来るのを待っていたので。来ないのも当然でした・・・)

N.Y34.jpg (12218 バイト)更にひたすら歩き続け、意識朦朧としてきた私の目に一つのビルがそびえ立っているのが見えました。これはもしや・・・、エンパイアステートビル!?

もうこうなったら昇るしかないっ!

しかし、さすがエンパイア。だてに一日3万5000人の観光客を迎えているわけではありません。展望台から夕日を見ようと夜7時くらい(日が長い)に入場券を買ったのですが、エレベーターの順番を待って並んでいるうちに、すでに夜になっていました・・・。(1860段の階段で昇る自信無かったんだもん)

やっとの思いで86階(381m!)の野外展望台へ!

N.Y121.jpg (21259 バイト)エンパイアステートビルから見た夜景です。とにかく綺麗っ!

360度、マンハッタンの大パノラマです。運がよければ130km四方が見渡せちゃいます。

このひときわ白く輝いているのは、かの有名なクライスラービル!

それから白くけぶっているのは、霧ではなく、のためです。それだけココは高度が高いのです!

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それから、とにかく風がすごい!!

カメラのピントも髪の毛もみんなめちゃくちゃ!飛ばされてしまいそうでした(笑)

寒かったっす。

N.Y133.jpg (12082 バイト)そして上を見上げると、おおっ!

エンパイアの塔頂部がっ。

本当はこの102階(443m!)の最上階にも展望台があるのですが、もんのすごい行列なので、遠慮しました。

展望台は24時までなので、観光客や地元のカップルが次々とやってきます。(東京タワーもぜひ見習って欲しい)

ちなみにNYでジュースの販売機を見たのは、このエンパイアステートビル内たった一度きりでした。(他は全て屋台販売なんです)

それから、NYでは缶コーヒーにほとんどお目に掛かることがありませんでした。この日の夜、デリカテッセンでスターバックスの缶コーヒーを見ただけ。そう言えば、レストランでアイスコーヒーを注文しても、HOTコーヒーに氷をぶち込んだ「Iced coffee」が出てきたっけ。不思議だね〜。

って、今夜もディナーはデリのお惣菜なのぉ!(泣)

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