明日から7月。7の月・・・。
「もし恐怖の大王が降ってこなかったら、またお会いしましょう。」
今日どれくらいの人が別れ際にこのセリフを口にしたことでしょう。
私はキレイ好きではあるけど、潔癖症ではない。けどこの時期、どうしても許せないモノがある。
それは、他人の座ったシートの温もり!汗ばんでてジメッとしてんだよねぇ。
満員電車で、疲れてどうしても座りたいんだけど、このジメッというのをお尻に感じたくない。でも、ジメッが取れるまで待ってたら席を取られちゃう・・・。うーん。
ジレンマに悩まされた私、今日名案が浮かんだ!
そうだ!「ジメッ」が無くなるまで、空気イスで耐えるんだっ!
早速今日の帰りに実践。目の前に空いた席に滑り込み、まだ前に座っていた人の温もりが残っているのを確認すると、お尻を2,3ミリ浮かして座ったフリ。
・・・ふー。10秒経ったところで、シートに触れて確認。
(げっ、まだだ。)
・・・ふ−。20秒経過。
(えっ!?まだなのぉ?)
・・・ふー。30秒経過。
(ああ、やっと取れたぁ。よいしょっと。)
安心して腰を下ろそうとしたところ、電車が揺れた。
ガタン!
「あっ!」
ムニュ。
「きゃっ!」
えっ!?ムニュって何?
ひえっ、着地失敗!隣のお姉さんの太股の上に乗っかってしまったっ!!お姉さんは、「ナニ?この人、座ってたんじゃないの?なぜ私の上に乗っかるの?」といぶかしげな顔で私を見てる。
ひー、ごめんなさい。結局私はいたたまれず席を立った。
でも、ジメッよりはムニュの方が気持ちよかった・・・。
あのね、ドラえもんは足の裏が汚れないんだよ。どうしてかって言うとね、実はドラえもんの足は地面から2,3ミリ浮いてるからなんだよ。
「レ・ミゼラブル」を観てきました。
もー、これ大好きでねー。12年前の初演から、もう15,6回は観てるんですよねー。
3時間全編歌で綴るオペラ形式のミュージカルなんだけど、私、全曲(33曲)歌えますっ!CD聞いて練習しました。
一番好きなのは司教さまの歌です。19年ぶりに仮出所で外に出てきたジャン・バルジャンに世間は冷たく、一晩の宿を与えてくれた司教さまにさえ心開く事ができないバルジャンは、その夜銀の燭台を盗んで逃げてしまう。そんなバルジャンを責めもせず、司教様は彼をかばい、諭すのです。
♪ さて、我が兄弟 銀の燭台を使って正しい人になりなさい
闇からあなたを主は救いたもう あなたの魂私が買った ♪これを聞く度に涙してしまうんだよねえ。けど、街を歩きながら口ずさんでたらすっげえ変な顔された。
さて、12年の間にキャストも随分様変わりしました。初めて観た時は、ジャン・バルジャン=滝田 栄、ジャベール=鹿賀丈史、ファンテーヌ=岩崎宏美、コゼット=鈴木ほのか、マリウス=野口五郎、エポニーヌ=島田歌穂という豪華メンバーでした。キャストを全員オーディションで選んだというのも日本では初めてで話題を呼んでました。
今回は、ジャン・バルジャン=山口祐一郎、ジャベール=川崎麻世、ファンテーヌ=鈴木ほのか、コゼット=早見 優、でした。
いやあ、山口祐一郎さん!歌上手過ぎ!!最初に登場した時はジャン・バルジャンを演じるには若いなあと思っていたのに、舞台が進むに連れ、微妙に声が老けていくんですっ!!最期は完璧な老人でした。
そして川崎麻世さん!足長っげえ〜!!それから歌も上手かったー!普段の甘い声なんか思い出しもしないくらい冷酷なジャベールに成りきってた!カイヤさんが惚れるのも判るぜ!
鈴木ほのかちゃんも初演の時はコゼット役だったのに、今じゃコゼットの母ファンテーヌだもんねー。12年の年月を感じさせるねぇ。こうやって成長振りを見られるのもロングラン公演ならではの楽しみだよね。
でも一番驚いたのは早見優ちゃん!だって今までのアイドル時代とは全然歌声が違うんだもん!デビューしたばっかの頃は「アイドルなのに声低いなー」と結構インパクトがあったのに、裏声でコゼットの曲を歌ってたんだよ。初めて聞いた早見優の裏声!
最近舞台を観に行く暇が無かったんだけど、急に火が点いて、来週は美輪明宏の「双頭の鷲」、再来週はつかこうへいの「新・幕末純情伝」観に行く事に決めました。またリポートしまーす。
今夜の「NHK 週刊ハイビジョンニュース」は、「都会でホタル!?」の巻。
ということで。一足お先に浴衣で登場しました!
新宿から電車でたったの30分、神奈川県川崎市、周りを住宅地に囲まれた50ヘクタールほどの公園「生田緑地」で、野生のホタルが見られるんです!
17年間観察を続けている地元ボランティア「かわさき自然調査団」のみなさんに混じってホタルの観察に参加して来ました。
かつては田畑に囲まれた典型的な里山だったこの森には、ホタルが住む為の条件が奇跡的に残されています。
年間通して枯れることの無い澄んだ湧き水。コンクリートで固めていない自然の土の土手は幼虫がさなぎになる為に欠かせません。そして、エサとなる巻き貝カワニナの自生。
ホタルの生きる為の生態系が今も守られているのです。
誰が見てもホタルって奇麗で守りたいと思いますよね。「奇麗なところに住むホタルというのは、奇麗な環境のバロメーターでもある」とボランティアのみなさんは考えていらっしゃいました。
<以下番組一部再現>
原元 「この日は30匹近くのホタルが確認されました。いやー、私ホタルなんてデパートの屋上でしか見たこと無かったんで、目の前を本当に飛び交うホタルの姿に感動しちゃいましたぁ。」
吉村キャスター 「僕なんかねえ、静岡に勤務していた35年前、ホロ酔い気分で帰る夜道を無数のホタルに照らされて歩いた記憶がありますねえ。」
原元 「それよりも、吉村さんは、『蛍の光』で勉強していらしたという噂もありますが・・・。」
*
ところで、今回の取材はもう引退しようかと思ったぐらいNGを続出してしまいました。
最悪のNGは、「ホタル」と「ホテル」を言い間違えてしまったこと!フツー間違えないわなー。
幻想的に飛び交うホタルを、地元ボランティアの皆さんとカウントしながら歩く重大なシーンで、嬉しそうにこう言ってしまった。
「ほんっと、ホテルの観察って楽しいですねえ〜。」
慌てて言い直したけど、一同シーンとなり、カメラさんが「あのぉ、もう一回やり直しても良いよ。さすがにホテルはまずいでしょー・・・。」と言ってくれた。スタッフの皆さんごめんなさい・・・。
ディレクターのNさんも、「もー、忘年会のNG特集用にとっとこうかなあ。」と苦笑してました。
大ちゃん(チンチラ・♂)の下痢がひどい為、点滴を打ったら、元気になり過ぎ!目がギンギンにつり上がり、吠えるわ、走るわ、噛み付くわ、まるで「グレムリン」の悪玉みたい!!
おかげで昨日一晩眠れなかったぞ!
ムカつくから、ネットで大ちゃんの恥ずかしい秘密を公開しちゃる〜!
実はうちの大ちゃん、去勢手術をしたのに、まだちゃんと発情する。
しかし、悲しいかなオスのフェロモンの出ない大ちゃんは周りのメスネコ達には見向きもされないのだ。
そこで大ちゃんは考えたぬいぐるみを相手にするしかないと!?
で、去勢された大ちゃんは毎晩2回(!)猫のぬいぐるみの上に乗っかっているのである・・・。
それだけでもかなりヤバイのに、大ちゃんたら、「その行為」を誰か(人間)に見られていないとできないらしいのだ。
「見て見て」ってぬいぐるみをくわえて私の部屋までひきずってくる。私が「はいよ。大ちゃん、トントン(ぬいぐるみの名前)連れて来たね。」というと、
「ウニャ〜ン♪ニャ〜ン♪」と試合開始を宣言する。私はちゃんと見ていることを証明する為に途中で声を掛けてあげなければならない。
「はいはい。大ちゃん、スゴイねー。(何が?)」
大ちゃんは終わるとぬいぐるみをほったらかして満足気に自分の寝床に去っていく。お前、冷たい男だな。
つまり、大ちゃんのHって、ぬいぐるみ相手で露出狂?人間だったらかなり変態・・・。
グギャア!!!
殺られた!大ちゃん(愛猫・チンチラ・♂・12歳)に・・・!
12年間慢性の下痢に悩まされている大ちゃんのトイレの後始末をしていた時の事です。猫用のトイレの砂が10キロ近く入ったプラスチックの箱を持ち上げた時、大ちゃんが足にまとわりついてきた。
「もー、邪魔でしょ!メッ!」と怒鳴った瞬間に、ついうっかり自分の足の上に10キロのトイレの箱を落としてしまったのだっ!それで、
グギャア!!!
プラスチックの箱型のトイレの角が私の左足の親指をえぐった!
痛てえ・・・、はっ!血!?
親指の爪の真下から3cm四方の皮膚がえぐれ、見る見る間に血が・・・。私って、自分の血って見るだけですくんでしまうのよね。
私の悲鳴に驚いて大ちゃんは逃げてった。くそ〜、あいつのせいだ。わざとだ!
これは復讐だ。以前アタシがあいつのシッポをハサミでちょん切ってしまったことへの仕返しだー!かわいがってやったのにー!
怪我自体はたいしたことないのですが、靴が履けないから歩けないんですぅ。ちょうど当たるんですぅ。う〜、明日は大学時代の友達の結婚式の司会なのにぃ。どないしょ。
ええっと、なんだかスゴイ量の問い合わせメールが届いたので、この「ぢょしアナ日記」でお答えしようと思います。
私が3年前まで勤めていた名古屋CBCのラジオ「聞けば聞くほど」で、パーソナリティのつボイノリオ氏が、
「元CBCアナの原元美紀は、『飲尿健康法』といって、
毎日オシッコを飲んでましたよー!」
と発言したらしい。をいをい、つボイさーん・・・。
で、真偽の程ですが、これはホントです。
CBC現役アナウンサーの時はイメージがあるので(?)放送で言わないようにと口止めされていたのですが、つボイさんにそれを話したら、「よし、じゃあ、辞める時にはぜひ番組でカミング・アウトしよう!うひひ」と約束させられたのでした・・・。でも、肝心の最期の放送はラジオの音楽番組でしたし、泣きっぱなしだったので、すっかり約束を忘れてしまったのです。それで今頃・・・。
で、なんでかって!?
実は入社当時(1992年)、尊敬するさくらももこさんが著書の中で、「飲尿療法を試してみたら、体がポカポカしてきて、最初の1週間は吹き出物が出始めるんだけど、その後は不思議と疲れにくくなり、体調も万全!お金もかからないし、だまされたと思ってやってみて良かった。」と書いていたのです。
これを読んで。「ほ〜、私の小学生以来の肩コリも治るんかいのぉ?」と興味を持ち、またさくらももこさんはズバズバ本音を言う人(「例え血がつながっているからと言って肉親を無条件で愛せるなんて偽善だ」発言等・・・)であったので、「この人が言うんならホントだろう」と次の日の朝早速チャレンジすることに決めたのでした。
コツは、朝まだ寝ぼけている時に、エキスの詰まった(!)寝起きのオシッコをグッと一気することだそうで、これを一番搾りと言います(ウソ)。決心の鈍らないうちに朝5時に目覚ましをセットしました。
しかし・・・、せっかくお酒を控えて迎えた翌朝でしたが、コップに入れた自分のオシッコのニオイにクラクラきてそのまま流してしまったのです。
ところが、次の日も、その次の日も、なぜかセットしていないのに朝5時に目が覚めるんです!
「これは神さまが『まあ、飲めや!』と言ってるに違いない!!」
と、神の啓示に従い、3日目、根性決めてコップ一杯の自分のオシッコを一気に飲み干したのでしたっ!!
うげっ、生温かい・・・。ゴクゴクゴクッ。・・・まずい。
運良くまだ寝ぼけ半分だったので、ウガイをして2度寝しました。
こうして自分のオシッコを飲み始めて変化が現れたのは3日目のことでした。まず、自分のオシッコのニオイが無臭になりました。味も薄くなり、飲みやすくなりました。(鼻をつまむことがなくなったのです!)
1週間続けた頃には、冷え性だった私の体がポカポカしているのです。気のせいか顔色も良くなりました。さくらももこさんが書いていたように、吹き出物が一斉にできましたが、すぐに治り、前より肌がキレイになりました。
ここまで努力してるんだ!という思いからか、疲れや肩コリもなくなったように感じました。
さくらさんが、「自分が健康になれるのなら、非科学的だろうがなんだろうが関係ない。」と書いていたことに納得。日中トイレで流してしまうオシッコを大変もったいない思いで見送りました。
しかし、いろんな人に効果を話し熱心に勧めたのですが、誰一人として実行してくれた人はいませんでした。
「みんな、自分のオシッコに自信がないのかな?
そっか!アタシのオシッコを売り出そう!!」
結構マジで考え、計画を練ったのですが、この飲尿療法も長くは続きませんでした。
たわいもない理由です。仕事が忙しくなり始め、酒を飲む機会も増えてしまったからです・・・。お酒を飲んだ次の日のオシッコは効果がないように感じたので。
酒かオシッコか・・・、酒を選んでしまった弱い女なんです。
アニメなら一人で2時間の特番が作れると豪語する原元美紀です。
名古屋CBCアナウンサー時代には、アニメ・ソング特集番組のゲストや地元中日新聞でマンガについてインタビューされるなど、「アナウンサー界の西村知美」に向かってばく進しておりました。
そんな私がただいまハマっておりますのが、CX系で放送している「快進撃TVうたえモン」であります。
今田耕治・松本明子のコンビを司会に、特撮ヒーローもののマニア京本政樹やら毎回の豪華ゲスト(藤原紀香も出たぞ!)やらとアニメ話で盛り上がり、目玉はオリジナルの歌手がアニソンを歌ってくれることなんですっ!懐かしの名作「キューティーハニー」の前川陽子、「キャンディ・キャンディ」の堀江美都子から、「ポケモン」の松本梨香まで!大感激ですっ!!
思えば私のアニメブームの頂点は小学校6年生でした。おこづかいで「アニメージュ」や「アニメディア」を買い、デパート屋上のアニメソング歌手のコンサートに一人で電車に乗って足を運びました。
さて、私が夢中になったアニメ歌手の一人、アニメソング界のアニキこと水木一郎がこの番組で大ブレイク!なんと8月には「24時間持ち歌1000曲ライブ(!)」を企画しているのだそうです!1000曲だよぉ!24時間だよぉ!!水木さん○○歳越えてんだよぉ!
心配だけど、私の一番好きなアニキの持ち歌「コンバトラーV」を生で聞くチャンスでもあるッス。
しかし、最大の問題は、会場が無い!?(今日の放送で会場募集してました)
24時間音を鳴らしつづけてもOKで、出来れば屋外でということらしいんですけど・・・。
うーん、こりゃあ、ぜひとも応援せねば!と思っていたら、やはり私のように水木さんを按じて、いや応援して、たくさんのHPが開設したようです。
今回は私の知り合いが開設したHPを紹介します。良かったら皆さんも応援メッセージをよろしくお願いします。
ANIKI-1000 = http://www5.big.or.jp/~khirose/aniki/
6月2日の日記で、誤解を与えてしまったようです。
私が日記で書きたかったことは、自分自身に対する戒めです。基地問題の是非ではなく、横田基地の橋をきっかけに、「ジャーナリストは冷静・公正であれ」ということを改めて自分の胸に誓ったということです。
その誓いを立てた場所がたまたま横田基地であったということであって、米軍を歓迎して相手に丸め込まれたつもりもありません。「理解」という言葉を使いましたが、両者にとっての最善策を産む為には、相手側のものの考え方つまり思考回路、歴史的・文化的背景等も「理解」しなければならない、その情報を公正に伝えるのがジャーナリストの使命であると考えます。相手の言い分を100パーセント「受け入れる」という意味ではないです。
どちらかに偏った報道は事実を捻じ曲げてしまう力を持っています。この仕事をする上で、決して許されないことだと思っています。石原都知事の横田基地視察でその誓いを思い出したということを書きたかったのです。
もちろんこれまで日本で起きた米兵による数々の暴行の前には、基地に日本への理解を促す橋が設けられているといったエピソードは無意味になってしまいます。
このような暴行には日本はもっと毅然とした対応を取らねばならないと私自身も考えています。とにかく、言いたかったことが伝わらないなんてジャーナリストとしては失格ですね。
今夜の「NHK 週刊ハイビジョンニュース」は、この格好でお分かりの通り(?)探偵です!といっても、「ペット探偵」に密着の巻でした!!
最近、環境の変化やストレスが原因で家出をしてしまうペットが増えているそうです。ペット捜しのプロ、ペット探偵の白沢 実さんの元には一月に百件近い相談が寄せられます。
16年のキャリアを持つ白沢さんは、これまでに2500件の依頼を解決してきました。
「ペット探偵には鋭い観察眼と粘り強い情報収集が必要だ」という白沢さんに弟子入りして私も猫の捜索に挑戦しました。
今回の依頼は東京・武蔵野市の猫3兄弟の捜索です。3匹は新しい家に引っ越してきてすぐに揃って家出をしてしまったんです。
猫を5匹飼っている私としては他人事ではありません。ただちに現場に急行!捜索開始です。
人間と違って猫の捜索には次のようなポイントがあります。
ポスターやチラシは子供の目線に貼る!目の位置が低いので猫を見つけやすいのだそうです。
猫の捜索は3次元!床下から屋根の上まで目を光らせます。
猫道を探せ!猫が通った跡には体毛やヒゲが落ちている。
夜の捜索が決め手!猫は昼間は寝ていて、夕食を済ませたら辺りを歩き回る習性がある。
そして、探偵といったら7つ道具!
白沢さんのカバンには、双眼鏡、虫メガネ、ポラロイドカメラ、地図、コンパス、ポスター、猫のエサ(またたびや煮干し等)と、本当に7つの道具が入っていました!
しかし、はたから見ると白沢さんはとても怪しい。「ニャーニャー」言いながら人の家の庭や車の下なんかを懐中電灯で照らしたり、這いつくばって虫メガネで見たり・・・。実際、ストーカーと間違えられて警察に職務質問される事もしょっちゅうらしい。
(ちなみに私は写真のような格好では捜索してません。それこそ捕まってしまう・・・。)
3日間の捜索にも関わらず、残念ながら今回依頼された猫3兄弟は見つけられませんでした。
見つけられなかった事を依頼主に報告する時が、ペット探偵にとって一番辛い瞬間です。
「捜索の成功率は75%(!)くらい。でも、4分の3のペットを探し出せた喜びよりも、25%のペットを見つけられなかった悔しさの方が大きいんです。」という白沢さんの誠実な言葉が印象的でした。
白沢さんは目撃情報などが入ればまだ捜索を続けるつもりと言い残し、次のペットの捜索へと向かいました。頑張れ!ペット探偵!
石原都知事が横田基地を視察しました。
実は横田基地は私にとっても大事な場所です。
日テレで「はーい 朝刊」のキャスターをしていた2年前の4月、「横田基地見学ツアー」を取材しました。
終戦までは日本軍の飛行場でもあった横田基地(旧多摩飛行場)ですが、1945年9月4日にアメリカ軍に占領されてからは、基地の軍人や家族以外ほとんど立ち入ることができませんでした。
しかし、戦前の歴史的遺物のいくつかが、基地内の建築ラッシュで近い将来姿を消す可能性もあり、日本の一般市民への開放に踏み切ることになったのです。
東京ドームおよそ15個分の広大な敷地を徒歩で2時間、デニス・ピッツ歴史史料室長を案内役に回りました。20人の参加者の中には、戦時中この基地で働いていた方もいて、「懐かしいな〜。また来られるとは思っても見なかった。」とおよそ50年ぶりに足を踏み入れる基地の姿を見ては目を細めていました。
S19年、昭和天皇の訪問を記念した甲府岩が静かにたたずむ。朝鮮戦争で活躍したF−86戦闘機が星の数を誇る。日本人従業員が(!)その死を悼んで建てたケネディ大統領の慰霊碑が私たちを出迎える。
そして、日本庭園・・・!
横田基地には日本庭園があります。とても、とても小さな庭園です。その庭園の小さな池には小さな橋が架かっています。石で作られてはいますが、ほんの少し中央が膨らんでいて、ミニ太鼓橋のようになっています。
私はピッツ室長に質問しました。
「なぜ、滑走路と基地の間なんかに日本庭園があるのですか?」
ピッツ室長の答えは私を打ちのめしました。
「この橋は、アメリカから日本の地に降り立った兵士達が通る為に作られたものです。滑走路に着陸し、基地内へ入るにはこの橋を通らねばなりません。
確かに「ヨコタ」は「アメリカ」です。
しかし、『ヨコタ』が日本の国土の中に作られた『アメリカ』であることを決して忘れるな。日本に対して理解を深めよということを一人一人の胸に刻み込ませる為の橋なのです。」
ショックでした。
それまでの私は、国土の一部をアメリカに使用された日本人という視点からしかこの横田基地問題を考えられませんでした。しかし、この橋の存在を知った時、初めてアメリカ兵の心情に思いを馳せました。
こちらにはこちらの考え方もあるけど、あちらにはあちらの考え方も存在して、それを知ろうとしなくては公正な報道はできない・・・。(基地問題に限らず)
それは私にとって、物事は双方から見なければいけないということを痛感させられた瞬間でした。
横田基地のこの小さな橋は、日本の地に降り立ったアメリカ兵に日本への理解を促す以上に、私にジャーナリストという職業について鋭く問いかけてきた場所となりました。
*