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1998.4.29   みどりの日&My Birthday!!

とうとう29歳。20代最後の年に突入!

29歳初めての夢は、なぜか歯が抜ける夢・・・。年を取ったってことを暗示してんのかなあ?なんか幸先が悪い。

とりあえずパソコンを開き、メール・チェック。うおおお、いっぱい来てる。バースデー・メール!!みんな、ありがとう。去年までは自分の誕生日をパソコンを通じて祝ってもらえるなんて想像もしなかった。ホントに嬉しい。

そして午後。我が家にピアノが来た!と言っても別に誕生日プレゼントで貰った訳じゃない、親戚に長い間貸してあげてたのを返してもらっただけだ。

「ディズニー名曲集」を買って来て早速弾いてみる。が、弾けない。指が動かない。楽譜が読めない。どうして!?そうだ、思い出した。私ってバイエル程度しか習ってないんだった。父に「久しぶりに美紀の下手くそなピアノを聞いたなあ。お父さん、近所に恥ずかしいよ。」とけなされる。くそぉ。こうなったら一曲だけ特訓するぞぉ。覚えてろ!

夕方。母のお伴で買い物に行く。シルバーのチョーカーを買ってくれた。わーい。

夜。すき焼きパーティー!(季節外れだけど)家で過ごす誕生日も悪くないね。

さて、今夜は誕生日でG.Wだけど、やっぱり仕事だ。「はーい 朝刊」である。「みどりの日」に合わせて、イエローグリーンのワンピースに、今日買ってもらったシルバーのチョーカーをつけて出演!

<以下番組再現>

原元  「読売新聞の世論調査で、今の世の中を色に例えるとしたら、灰色と答えた人が過半数の51%という結果が出ました。ちなみに14年前は黄色がトップでした。」

原元   「長引く不況や暗いニュース続きで不安なイメージがあるのでしょうか?」

大野キャスター 「まあ、時代のカラーとしてはちょっと出来過ぎた答えかもしれませんが、一方、灰色はどんなTPOにも対応可能という専門家もいますから。」

原元  「でも、『21世紀の未来はどんな色になると思いますか?』という質問もあったんですが、そこでも、やはり灰色がトップになってしまったんですよ。ちょっと不安になってきました。」

大野キャスター 「薔薇色の未来、という訳にはいかないようですね・・・。」

番組が終わった後、このHPではガンちゃんでおなじみ(本人には内緒)の大野氏がプレゼントをくれた。家に帰って開けてみると、すんごくかわいいさくらんぼの和菓子!(ちょっと高そ〜)ちゃんとバースデー・カードも入ってた。ん?サインに「ガンちゃんより」と書いてある。げっ、ガンちゃん、このHP読んだな。やだぁ、言ってよぉ〜。


1998.4.26

私が尾崎と出会ったのは、1985年11月、高校一年の時。チケットが余ったからとムリヤリ先輩に買わされて、一体誰のライヴなのかも知らないまま、渋々と代々木オリンピックプールに向かった。それが、「LAST TEENAGE APPEARANCE」、尾崎 豊 十代最後のライヴだった。

2階席からは顔などよく見えるはずもないし、「スタンディング」は疲れるから、ただ早く終わることだけを願ってた。

ところが、暗闇にグランドピアノの奏でる繊細なメロディーが響き渡り、ピンスポットを浴びた尾崎が歌う「卒業」を聞いた瞬間、動けなくなった。こんなに、こんなに・・・。顔も何も知らない、自分よりほんの少し年上の少年の歌に震えて、あとは言葉にならなくて。

その後に歌った「15の夜」や「シェリー」も、すべて体に染み込んできた。「ああ、事前に歌を覚えておけば良かった。一緒に歌いたい・・・。」

「尾崎ィーー!」覚えたばかりの名を叫ぶ。後にも先にも、ライヴでアーティストの名を叫んだのはこの時だけだ。

ライヴが終わる頃にはすっかり魂を抜かれてしまった。慌ててプログラムやポスターを買い漁り、初めて尾崎の顔を知る。

「イイ男じゃん。」

その日から私の人生は変わった。自分がこんなに誰かに狂うとは思わなかった。でも、私がファンになってすぐ、尾崎は休業宣言をし、渡米してしまった。私は安っぽいドラマのヒロインのように、毎日ポスターにKISSをして、「早く帰って来ちくりー」なんて話しかけてた。ポスターは3ヶ月で溶けてしまった。

ところが、そんなに待ち焦がれていた尾崎が帰ってきても、なんだか素直に受け入れられなかった。何かが変わっちゃった気がして。自分が変わったのか、尾崎が変わったのか、恐らくどちらもだろう。

大学生になって付き合った彼が尾崎を嫌いだったこともあって、なんとなく尾崎のことを自分の胸の中に封印してしまった。

そして、就職。名古屋で初めての一人暮らし。忙しさに追われて、昨日のことすら振り返る間も無かった。引越しの荷解きをしていたら、ふと懐かしいCDを見つけた。「回帰線」。尾崎 豊2枚目のアルバムだ。

久しぶりに聞いた「卒業」に、涙が出た。何かから「卒業」し、社会人になったばかりの私。きっと自分に区切りが付いた瞬間だったのだろう。

その年の4月25日、尾崎は死んだ。

「尾崎 豊 死亡」のニュースを聞いた時、私は「これで完結した」と思った。

なぜか悲しくなかった。私の手元には彼の残した歌があるし、今後彼が音楽活動を続けても、もう昔のような歌ではないし、私もあの時のような気持ちにはなれないことを知っていたから。ただただ静かな気持ちで、「これで終わったんだ」と思った。

数日後、東京に帰省した時、急に自分の青春時代にきちんとケリをつけたくなった。真夜中、原付を飛ばして(盗んだバイク♪じゃないけど)、尾崎の住んでいた足立区のマンションを訪ねた。途中道に迷ってしまったので、たどり着いた頃にはもう朝日が昇り始めてた。ファンのメッセージがびっしりと書かれている壁の前で、熱い缶コーヒーを飲んで、大きな声で歌った。「十七歳の地図」。一番好きな曲。

「親の背中にひたむきさを感じて この頃ふと 涙こぼした 半分大人の seventeen's map♪」

この歌に出会ったおかげで、私の反抗期は終わった。尾崎のことを「十代の代弁者」と祭りたて、「大人社会に反抗する若者」というレッテルを貼ったマスコミも多いけど、どこにこんな詞を書ける十代がいる!?

尾崎と同じ時代に生まれ、リアルタイムで彼の歌を聴けたことを本当に幸せだと思う。これからも私は、何かから区切りをつける度に、尾崎を聞くんだろうな。

最後はやっぱりみんなと同じ言葉だけど、尾崎、ありがとう。


1998.4.25

尾崎 豊   七回忌。足立区・千住の「尾崎の部屋」に行く。

1992年4月25日、肺水腫で亡くなった尾崎が倒れていた場所。小峰さんという、見ず知らずの人の家の庭。その後全国から訪れる尾崎ファンの為に、自宅を開放し「尾崎の部屋」を作った小峰さん。尾崎の死は、この人の人生さえも変えてしまった。

実は、以前にも行った事が有る。尾崎が倒れていたという庭に、花を供えに行ったのだ。噂通り、誰かが歌う尾崎の曲が聞こえてきて、窓ガラスの隙間から部屋の中を覗いてみると、壁を埋め尽くした尾崎のポスターに囲まれて、尾崎に似た少年がギターをかき鳴らしていた。「これが、尾崎の部屋かぁ・・・。」でも、なんとなく入りづらくて、結局覗いただけで帰った。

あれから6年。あの頃と違うのは、私のバイク(原付)が車に代わって、缶コーヒーが100玉じゃ買えなくなっちゃったこと。

よし、今年こそ、行くぞ。「尾崎の部屋」。

同級生で尾崎ファンのカメラマンS君を呼び出し、尾崎の曲をかけながら車を飛ばす!しかし、暗くて道に迷ってしまった。途中でタバコ屋のおじちゃんに道を訊ねようとしたら、私が近づいただけで、

「ああ、尾崎さんの家でしょ?あの信号を左に曲がって、3軒目ですよ。」と答えてくれた。

「あの、やっぱり訪ねてくる人多いんですか?」

「・・・みなさん、何年経っても忘れないんですね。」

やっと着いた「尾崎の部屋」。自転車が10台ほど止まっていて、夜の11時近いのに、「15の夜」を歌う声が外まで響いてる。「ああ、やっぱり集まってるんだ。」

ozaki1.gif (30997 バイト)まずは、庭へ。小峰さんの家は、垣根とか塀が無いので、自由に入って良いそうだ。細長い庭を奥に進むと、たくさんの花が供えられている。 私たちは手ぶらだったので、S君がお線香の代わりにタバコに火をつけた。尾崎、どうぞ、安らかに。

さあ、「尾崎の部屋」。

木造2階建ての家の木の引き戸を開けると、ずらっと並んだ靴に驚かされた。予想はしていたものの、圧倒されていたら、「どうぞ」という声が聞こえた。奥の居間から出てきたのは、親切そうな20代半ばの男の子。ozaki33.gif (46824 バイト)

「おじさん(小峰さん)はもう寝ちゃいましたけど、どうぞ上がってください。」

「あっ、ハイ。あの、小峰さんの息子さんですか?」

「いいえ、違います。ああ、玄関入って右の部屋にみんな集まってますよ。」

・・・。その瞬間感じた。ここに集まる尾崎ファンの中では、なにか暗黙のルールができている。それはきっと、他人を傷付けないこと。恐らく間違いはないだろう。

部屋の戸を開けるのを少しためらっていたら、知らないおじさんが、「入るか、入らないか悩んでるなら、まあ、入れ。」と、私とS君を部屋に入れてしまった。自分も後から入ってきた。水割りを片手に鼻歌を歌ってる。「果たして、このおっさんは誰?」おっさんは電話で呼び出されすぐ出ていってしまったので、この疑問は解けないままだった。

ちょっと落ち着いて、部屋を見渡してみる。四畳半の部屋に10人ほどの男の子と、5,6人の女の子がいるみんな若い(!?)高校生か大学生くらいだろう。男の子の半分くらいは、尾崎にそっくり。ぼろぼろの楽譜を畳の上に広げ、ギターを鳴らし、誰かが歌ってる。他の者はそれを聞いてたり、ノートにメッセージを書いたり、隣の子と悩みを相談しあったり。

ああ、以前窓から覗いた光景と、全然変わってない。「変わらない」ということがすごく重くて・・・、切なく、苦しくなった。

途中、小峰さんの奥さんが来て、「近所から歌がうるさいって苦情電話が来たから、みんなもう少し静かにね。ああ、それくらいの声なら良いよ。でも、叫んじゃだめだよ。」と注意しに来た。みんな残念そうな顔をしてるけど、聞き分けは良い。みな返事の代わりに、「フッ」と尾崎のようなニヒルな笑みを浮かべた。ozaki-re44.gif (29917 バイト)

よし、今がチャンス!

「あのぉ・・・」、うつむいていた子達が一斉に私を見つめる。「えっと、今日、ここに来た記念に、写真を撮りたいんだけど、良いですか?」さっきから歌の区切りが付くタイミングを待っていた私。遠慮がちにお願いする。いつもはガンガン行く私も、今日ばかりは汗が出てきた。見るとS君もビッショリ汗をかいている。なんだこいつ、カメラマンのくせに。

ともかく、写真を撮ったら帰ろうと、みんなに挨拶をしようとした。でも、なんて言ったらいいんだろう?「頑張ってね」じゃ変だし。結局、「ありがとう。さようなら。」とだけ言って部屋を後にした。

尾崎、この光景はこれからもずっと変わらないのかなあ。


1998.4.24

「NHK 週間ハイビジョンニュース」、今週は、「なぜ、今、ベトナム戦争写真展!?」の巻。

1960年に始まり、75年に終結したベトナム戦争。この悲劇を撮り続けた日本人カメラマンがいる。一人は、沢田 教一。ピュリツァー賞を受賞し、1970年、カンボジアで狙撃され、34歳で、戦場に消える。

そして、もう一人は石川 文洋。沢田より早くにベトナム入りし、北ベトナムの撮影にも成功したフォト・ジャーナリスト。以来35年間、ベトナムを撮り続けている。

命をかけて二人が撮り続けた戦争写真は、今、何を語ろうとしているのだろうか。

今回の取材は、私がアナウンサーとして今まで取材した中でも、間違いなく3本指に入るであろう程充実していた。

こんなにじっくり戦争写真を見たことが無かったから、正直な話、戦争写真なんて、戦地では題材がゴロゴロしてるから誰が撮ってもそれなりにイイモノが撮れるんじゃないか、なんてひねくれた考えがあった。でも、実際二人の写真を生で見て、自分がどうしようもなく無知だったことを知った。

沢田の写真は、戦争犠牲者の視点から戦争をとらえる特徴がある。木の根の影に伏せる子供たちや匍匐前進をする兵士。一緒に這いつくばって、被写体と同じ目の高さで相手をとことん「見据え」てシャッターを切る。また、一瞬の行動だけをカメラに収めるのではなく、その人間を追いつづけ、徹底的に「見届け」てもいる。ピュリツァー賞を受賞した作品「安全への逃避」は、二組の母子が川を渡り安全なところへとたどり着くまでを、沢田が案内しながら撮った写真だ。後にこの母子を探し出し、賞金の一部を手渡している。

沢田が戦場の悲惨な<死>を切り取る「天才」だとすると、石川さんは、戦場の<生>をとらえることで、逆説的に戦争を描き出す「人間」だ。戦争に駆り立てられた農村の女性兵士が、銃を構え無邪気に手を振っている写真。つかの間の休息、草むらに寝転がりヘミングウェイを読むアメリカ兵の姿。どの写真も、「ああ、この人たちが巻き込まれるなんて。どうか無事に帰って欲しい」と、石川さんの願いが胸に染み込んでくる。

21世紀を迎えようとしている今、ベトナムでも若者の戦争離れは進んでいるそうだ。しかし、地雷や枯葉剤など、ベトナム戦争の後遺症はまだ続いている。日本でも、沖縄基地や、従軍慰安婦強制連行など、様々な問題が解決されていないままだ。戦争はまだ終わっていないのだ。

ところで、買ったばかりのサンダルを履いて行ったら、靴擦れがひどくて、水脹れどころか、足が血だらけになっていた。靴の中も血だらけだった。びっくらしたゾ。

本番中は、衣裳の靴を借りて履いてるんだけど、実はその靴も足に合わないんだよね。終わったら速効脱いでしまった。う〜、痛いよぉ〜。スタジオから裸足で帰る私。(確か先週も)

もし、金曜の夜、NHKの廊下で、ヒタヒタという足音が聞こえたら、それは私です。

さて、局内では裸足でも良いけど、この後は打ち上げだ。そこまでどうやって行こう・・・。玄関で困り果てた私。なんと、スタッフのAさんがおんぶしてくれた!500メートルも!わ〜い、やっさし〜。(いや、正確には私が命令したんだけど・・・Aさん、ゴメン)

おんぶなんて何年ぶりだろう。Aさんの背中で、童謡でも歌いたい気分だった。会話も弾んだ。

「原元さんて、血液型何型ですか?」

「見りゃ判るでしょ。Aよ。」

「うそだぁ〜。ちゃんと調べましたあ?」

「何よ、それ。それより帰りもおんぶしてよね。」

「えー、僕、こんな仕事初めて・・・」

まだ番組始まったばかりなのに、「今まで原元さんみたいな人に会ったこと無い」と、ほぼ全員に言われてしまった。


1998.4.23

お師匠さま、旅立つ。

去年の6月末にパソコン購入、わずか一月半の8月15日、このホームページを開設。こんな暴挙、いや快挙を成し遂げたのも、ワ−プロもろくにいじったことの無い私に、パソコンを一から教えてくれた師匠のおかげだ。

そのお師匠さまが転勤・・・。

「『エヴァンゲリオン』の『ヴァ』ってどうやって打つんですか?」とか、CD−ROMをインストールしていないくせに「動きません」とか、毎晩電話片手に指導して貰ったなあ。「判らないことが有ったら、遠慮なく聞いて下さいね」と言うから、その言葉を信じて遠慮なく真夜中でも聞いてた。しかも、呼び出したことも有る。(ゴメンナサイ。あれは反省してます。)

ある日、ある人から、師匠が「原元さんて、驚くほど初歩的なことを聞いてくるんですよ」と言っていたというのを聞いて、そん時、初めて「ああ、またやり過ぎちゃった」と気付き、恥ずかしくなった。もう夜中に電話するのを止めた。(とーぜんです)

「あんまり師匠に甘えないで、自分で出来るようにならなきゃダメですよ」と言ってくれてる人も居るけど、実は師匠は周りが思っているよりもクールだ。私の顔を見ると、「ホームページが進化してないですねえ」と叱る。会う度に言われる・・・。師匠に言われるのが一番辛い。

今まで、この「ぢょしアナ日記」でいろんな人をこき下ろしてるけど、師匠のことを書かなかったのは、彼がチェックしているだろうから。・・・うかつなこと書けない。

「遠くに離れても、なにか有ったら、また遠慮なくメールでも送って下さい。」

師匠のおかげでパソコンの楽しさ、便利さを知ったけど、こうして遠く離れてしまう今ほど、オンラインのつながりのありがたさを実感したことはない。

師匠、ホントにメール送りますからね。よろしくね。絶対ね。


1998.4.22

最近、会う人に、「『はーい 朝刊』のキャラのまんまだね!」と言われる。・・・そうかなぁ?ホントの私はもっと性格悪いぞ。(テレビに出る時は一応隠してるつもりさっ)

<以下番組再現>

原元  「議会よりワールドカップ!浦和市の市長と市議会議員が、サッカーのW杯フランス大会を観戦する為、6月の議会を2週間繰り上げます。10名ほどの市議が、定例議会の会期中、旅費の55万円を自己負担し、6泊8日のクロアチア戦観戦ツアーを計画。また、市長も2002年W杯に備え、決勝戦を観戦する為、フランス行きを要請しています。」

原元   「普段、議会でやり合う市長と市議が、こんな時には意気投合して、早々に日程繰り上げを決定してしまうのですね。」

大野キャスター 「訳の分からない物見遊山の外遊が多い中で、まあ、目的はスッキリしていますよね。ただ、浦和は熱狂的なサッカーファンが多いところですから、恨みや妬みを相当買うのではないでしょうかね」

原元  「なんか、フランスで市議会できちゃいそうですねえ。私たちの陳情したものも、こんなに早く決めてくれると嬉しいんですけどね。」

日本に残る他の浦和市議はやり切れませんな・・・。


1998.4.17

今夜の「NHK 週間ハイビジョンニュース」は、「原元 ロボカップに行く」の巻!!

ロボカップとは、人工知能を搭載したロボット達のサッカー大会なのである。ロボットの大きさによって、小型(ペットボトルくらい)、中型(小犬くらい)と二つのリーグがあって、1チーム5台まで、10分ハーフ。

ロボット達は、ボールは赤、ゴールは青と、色で目標を認識する。バドミントンのコートくらいの大きさのフィールドに入らせて貰ったんだけど、私がボールを手にしたら、それめがけてロボットが突進して来る。今までいろんな動物に襲われたことがあるけど、まさかロボットまで!?まるで闘牛士の気分。

また、一つのパソコンの画面上に何台ものコンピューターが集結して戦いを繰り広げるシミュレーション・リーグというのも有った。

どちらのリーグもすごいのは、学習効果の組み込まれたロボットもあること!つまり、経験を積むほど、どんどん賢くなるのだっ。今はまだボールを追いかけるのに必死かもしれないけど、人工知能のコンピューターがチェスで人間を打ち負かしたように、、そのうち、人知を超えた試合展開を繰り広げる日が来るかも知れない。岡田監督よ、フランスへ行く前にこれを見ろっ!!

ロボット達を見ていてふと思った。

人工知能をはめた方が良いのは人間じゃないか?


1998.4.16

リビングに行ったら、かあちゃんがテレビに見入ってる。嫁姑が凄まじい戦いを繰り広げ、牛三つ時にわら人形を打つというドラマ「羅刹の家」だ。

「こんな姑いないよね〜」半ばバカにした私。ところが、

「いるんだよっ!!」

物凄い形相で振り返った母、ああ、まさに羅刹・・・。

「・・・。あっ、ハイ・・・。」

あまりの迫力に、そっとリビングのドアを閉めた。


1998.4.15

パートナーが、ガンちゃんこと大野岩雄氏に変わって、2回目の「はーい 朝刊」。これまでのパートナー・浜崎氏はアドリブ大王だったので、気が抜けなかった。今度のガンちゃんは、隣に居てなぜか安らぎを感じる人だ。うーん、トキメキが良いか、安らぎが良いか。なんだか恋愛の選択に似てるなあ・・・。

<以下番組再現>

原元   「警察の担当者のお粗末な思い違いから、交差点の規制が無い場所に、間違って「一時停止」の標識が立てられてしまいました。4ヶ月間も、この標識に従って取り締まりが続けられ、54人が、反則金を払わされたり、免許停止になったりと違反切符を切られました。県警では、前代未聞のミスと、違反者の自宅を回って謝罪し、違反記録を取り消しました。」

大野キャスター 「ふむ。とんでもないうっかりミスですね。でも、警察は、やっぱりこの場所は(危険なので)標識が必要だと改めて公安委員会に申請するそうです。『泥棒を捕まえた後に、縄をなう』という言葉が有りますけど・・・。」

原元   「なんだかちょっと納得が行きませんが、とにかくっ、標識を守りましょう!

良い子の皆さん、一時停止の標識を見たら、それがホントに必要かどうか、一旦止まって考えましょう。


1998.4.14

「お前、気は確かか?」という母の制止を振り切って、全国的に大荒れの天気の中、東京ディズニーランドに行く。だって、今日は15周年アニバーサリーのマスコミ公開日なんだもーん。

TDLは、昨年の入場者数が70万人も減ってしまったうえ、せっかくのイベントもこの大雨でほとんどが中止、天中殺だなあ。(古い?)

でも、私にとっては5年ぶりのTDL!こ〜んなに空いているおかげでアトラクション乗り放題!!新しいエリアの「トゥーンタウン」ではミッキーマウスと抱擁(雨のせいかヌイグルミの匂いがしたぞ)、スター・ウォーズ・マニアにはたまらん「スター・ツアーズ」も、待ち時間ゼロ。そして、世界で一番好きな場所、「イッツァ・スモール・ワールド」も夢の貸し切り状態!しあわせ〜。

中学生の頃から何度も来ているから、ゲートをくぐり一歩足を踏み入れると、懐かしいという気持ちが込み上げてくる。ピーター・パンじゃないけど、ここに来れば子供に戻れるって気がする。乗り物を降りて、アトラクションの中に住み着いちゃおうかな、なんて考えがよぎる。(「ホーン・テッド・マンション」なら暗いからバレないでしょ?)

規制緩和で、非常口の明かりが消せるようになったのもいいよね。あれって、アトラクションに夢中になっている時、興冷めしちゃうもんね。

ところで、「カリブの海賊」って、人形が素晴らしく精巧に出来てるじゃない?ふと思ったんだけど、あれホントは人間がやってたりして。人間そっくりの人形がウリなんだけど、やっぱり難しくて作れなくて、実は人間が人形の真似をしてるの!だとしたらおもしろいよねぇ。


1998.4.10

いよいよ「NHK 週間ハイビジョンニュース」スタート!

−本日のスケジュール−

14:00  NHK出社

15:00  取材VTRの原稿チェック

16:00   スタッフ全員で番組内容最終チェック

18:00  衣裳着替え・メイク

19:30  リハーサル

21:00  生放送本番!

21:45  番組終了

いやあ〜、もう何から話していいんだか!とりあえず無事終わりましたけど。直前までカメラ割りや原稿変更などなど、バタバタしたまま本番に突入!でも、やればなんとかなっちゃうんですねえ。不思議ですねえ。終わった後の打ち上げが、またあなた、3時まで飲んじゃいましたよ。

私の担当は、スポーツ&エンターテイメント情報コーナー!第一回目の今週は、NHK交響楽団の31年ぶりの常任指揮者シャルル・デュトワ氏に迫る!!

五大陸を股にかけ、世界各国で活躍するデュトワ氏は、20年ほど前にカナダのローカル・オーケストラに過ぎなかったモントリオール交響楽団を世界水準にまで育て上げた人物である。

それを聞いた私、「じゃあ、『お助けマン』ですね!」と叫んだら、ミンナに苦笑されてしまった・・・。

さて、そのデュトワ氏を迎えて、「N響は音楽が変わった」ともっぱらの評判!果たして、「デュトワ・マジック」とは・・・!?

デュトワ氏は大変多忙で、今回はインタビューの時間も20分(!)短い時間で全てを聞き出さなければならない。色彩豊かと評される彼の音楽に対する考え方、取り組み方。なぜ、アジアの中のそのまた日本の中のN響の指揮者になったのか。彼の目に映る日本とは。また、成功した時は既に40歳を越えていた彼の人物像やルーツなど。ひ〜。

専門的な知識のある通訳の方をお願いしたんだけど、途中でデュトワ氏が、

「ミキ、なぜ君が自分で質問しないのか?」

と聞いてきた。私は「はい。これから勉強します。」と逃げたんだけど、

「また今年の9月に日本に来る。その時に君の英語が上達したかどうか試すからね」

と約束させられてしまった。天下のデュトワ氏にそこまで言われた私、周りからは「すごーい」なんて言われたけど、嬉しいような恐いような、早速英会話の本を買ったけど・・・。

ところで、NHKはさすがに広い!銀行も薬局も郵便局もあるぞ!今日は空き時間を利用して、社内を探検!我々の受信料がどう使われているのかをチェックするのも、大事なお仕事よね。

探検中、NHKの食堂で、なんと、CBCアナ時代の私の先輩で、現在はBSニュースキャスターの瓶子 和美さんにバッタリ!いやあ、ホント世間は狭い。


1998.4.9

郷 ひろみ離婚!!

昨夜の「はーい 朝刊」でもこの話題を取り上げたんだけど、「なんか原元さん、嬉しそうに読んでるねえ」と注意されてしまった。

はい。嬉しいんです。郷 ひろみに会って感激で泣いたほどの私としては、人生最良の日。嬉しさのあまり、ついトチってしまった。

離婚の原因は、郷 ひろみが複数の女性と不倫したこと。複数!?う〜、ひろみぃ〜、どうしてそん中に私を入れてくれなかったの!?くやし〜。

4年前、コンサートで「Wブッキング」を歌った時、「不倫したい、君とならば〜♪」の部分で、客席にいる私と目が合ったのは気のせいだったのかしら・・・?くそぉ。

しっかし、朝からワイドショーで「ダディ」の内容を細かく分析してるけど、これってコメディ?と思うような文章である。

交差点を突っ切る友里恵さんのことを、超人ハルクと呼んだり、ドスの聞いた声でなじる友里恵さんを倍賞美津子みたいと言ったり、松田 聖子から電話が来た瞬間は、「お嫁サンバ」だの「渚のバルコニー」だのが鳴り響いて、一人有線放送状態だったとか。何度聞いても吹き出してしまう。

私は努力家でストイックな彼の大ファンだけど、あえて言おう。

文才、無いかも。

タイトルの「ダディ」も芸が無いし、よっぽど友里恵さんの「愛される理由」の方がインパクトあったぞ。

ひろみー、それでも好きだよーん。


1998.4.8

新コンビ第一回目の「はーい 朝刊」!!新しいパートナーは、政治記者出身の大野 岩雄氏!

髪は七三、眼鏡をかけていて、ちょっとおっとりしてそうな愛くるしいルックス。う〜ん、なんだか首からカメラぶら下げたり、眼鏡かけたまま銭湯に入らせたら、外国人が「ファンタスティック!」と叫びそうだ。(言い過ぎです。ごめんなさい)

先週までの2年間のパートナーは、読売新聞の元モスクワ支局長・浜崎 紘一氏、通称浜ちゃん。今度は岩雄(いわお)だから、この日記では「ガンちゃん」と呼ぼう。

さて、そのガンちゃんとの初めての放送を、ちょっとだけどうぞ。

<以下番組再現>

大野キャスター 「温泉にはいろいろな効能がありますが、受験生獲得に効く温泉もあったようです。」

原元   「群馬大学では、医学部の学士編入試験で、受験生を地元・草津温泉に一泊させ、面接をし、意欲などを見極める『温泉入試』を打出したところ、学科試験も無いせいか、15人の定員に全国から2,500人も応募、なんと170倍程の競争率となりました。」

原元   「私の友人が受けたある放送局のアナウンサー試験でも合宿があって、夜は宴会で受験生の社交性などをチェックするなんていうのがありましたよ。私の友達はハメをし過ぎて落ちてしまいましたが・・・。まあ、リラックスさせたところで本性を見る、なんていうのも『イイ手』かもしれませんねぇ。」

大野キャスター 「となると、温泉で『良い湯だな〜♪』なんて、あんまりのんびり出来ないですねえ。」

原元   「緊張して、ノボせちゃいますよ」

ところで、この場合、試験官も一緒に温泉に入るのだろうか・・・?いや、まさかね。


1998.4.7

お花見!!

私の名古屋CBCアナウンサー時代の後輩で、東京に出てきた相羽装子ちゃん、森 麻緒ちゃん、そして、以前「ぢょしアナ日記」にも書いた元CBCプロデューサーのTパパと銀座に集結!ワインを飲みながら優雅に御食事、お次は有楽町のガード下で焼き鳥&ビール、締めは日比谷公園で夜桜見物。

今年初めての花見!・・・のつもりが、ひどいよ〜。雨で散っちゃってるよ〜。しかもライトアップもされてないし、名物の噴水も終わっちゃってるし、公園はカップルしかいないし。しけた花見になっちゃったなあ。

でも、考えてみたら、私、桜って別に好きじゃないんだよね。だって、なんかさらけ出し過ぎなんだもん。(桜もアタシには言われたくないか)

そうだ、これからは、梅でいこう。キリっとしていて誇り高い梅のような生き方!目指せ、紅天女っ!(ちょっと違う?)まあ、でも、こっちの方がカッコイイよね。

まず、さらけ出す癖を止めねば!おっと、じゃあ、このホームページ止めなきゃぁ。


1998.4.6

良い子のみなさぁん、もうハイビジョンテレビは買いましたか?

「NHK週刊ハイビジョンニュース」は、10日(金)にスタートしちゃいますよ〜。

今日はリハーサルをやったのだ。いやあ、何がすごいって、さすがNHK!リハーサルのリハーサルもやったんだよ(!)念入りだねえ。

会議からリハまでオシゴトしたのは5時間なのに、その後4時間も飲んじゃった。まだ3回しかスタッフに会ってないのに、もう長いつきあいの友達みたいだ。

それにしても、初めてハイビジョン画面で自分の顔を見たよ!!なんだかツルンとして、不気味だった・・・。


1998.4.4

最近いつも「あんたもねえ、もう若くないんだから」と私に説教する母。そのわりには私の服やブーツを勝手に履いている。

鏡を見ながら泣いてた。パーマ失敗したんだってさ。「超ムカつく〜」っていじけてた。

もう52歳なんだから、超は止めなさい。超は。


1998.4.2

とうとう浜崎氏と最後の「はーい 朝刊」。今夜のネタは豪華2本立てだっ!!

<以下番組再現・1>

原元 盗聴器の氾濫が深刻になっています。会社の電話盗聴から浮気調査など、都内の年間販売数は5000台にも上り、盗聴発見業者への依頼も増える一方だそうです。」

浜崎キャスター 「私がモスクワにいた時の話なのですが、KGBのスパイを自称する男が支局にやって来て、天井を見上げて言ったんです。『おーい、このくらいで聞こえるかぁ?』

原元   「ジョークのようですが、実話なんですか?盗聴する側に全く罪の意識がないところが一番恐いですね。」

一瞬小噺かと思ったら、ホントにあったことなんだってさ。恐るべしロシア・・・。

<以下番組再現・2>

原元   「よみうり日本テレビ文化センターの手工芸展を取材しました。30コースあまりの手工芸の講座で学んだ生徒の作品が展示・即売されています。この世にたった一つの手作り作品を求めるお客さんからは、『頑張ったね』という、アマチュアの手工芸展ならではの感想も聞かれました。」

原元   「会場では体験教室もあり、私はフラワーデザイン、野の花のリース作りに挑戦しました。自分の手のひらから生まれたかと思うと特別な愛情が湧いてきます・・・」

浜崎キャスター 「フム。イキナリにしてはなかなか良く出来ましたね。誰でも出来るんですか?」

原元  「3ヶ月単位で、簡単に出来るようになります。講師の女性は妙齢の女性で、とっても優しく教えてくれます。」

浜崎キャスター 「じゃあ、日頃の罪滅ぼしにカミサンへのプレゼントでも作ってみましょうかね。」

原元  「ほんとは、妙齢というところに惹かれたんじゃないですか?それに今更罪滅ぼしなんて遅くはないですか?いかがでしょう?今夜はこの辺で・・・」

今夜でコンビ解消です。なんだか最後っ屁をかけたような終わり方になってしまったけど、愛情の裏返しなのさっ。ははは。

この2年、浜崎氏のオヤジギャグで結構楽しめました。いや、ギャグ以外にも、歌上手し、レディ・ファーストだし、素敵なおじ様でした。マジで。浜崎さん、2年間原元のお守りをして下さってありがとうございました。

私は来週から水曜日に担当が替わりますが、浜崎氏は木曜日のままです。これからも番組見て下さいね〜。


1998.4.1

久しぶりに自分のスリーサイズを測ってみた。・・・変わってない。3年前と。ホッ。

でもおかしいんだよね。以前の私の服のサイズは、7号だった。(スカートなんか5号はいてたぞ)でも、サイズは変わってないくせに、今は9号の服を着てる。昔の服がきつい。幅出しちゃったりしてる。

「不思議だね」って母に聞いたら、「ああ、肉が下がったのよ」と言われ、死ぬほどショックを受けた。

私、今月で29歳。年取るって、こういうことか・・・。

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