nikki-title.gif (770 バイト)

home /

1997.11.29

ウチの母は最近おいしいパンを買ってくる。毎日買いに行ってるのに、なぜか今日は買ってこないので、どうしたのか聞いたところ、「だって、土曜日は警察休みでしょ」という予期せぬ答えが返ってきた。も、もしかして・・・。そう、母は、近くの警察署の売店でパンを買っていたのだ!

確かにこれは犯罪行為ではない。が、しかしなぜわざわざ警察にまで出向いて買うのか?!

「あのね。***警察署のパンっておいしいのよ。ちゃ〜んと中にびっしりあんことかクリームとか入ってて、栗もこ〜んなに大きいの。やっぱりパン屋さんも警察相手だと空気でごまかすような事はしないのね」いや、かあちゃん、それは違うと思う・・・。

「それにね。不思議なのよ。売子さんがいないの。ざるに「一個百円」て書いてあって、みんな勝手に代金を入れるのよ。やっぱり警察だから代金ごまかすような事はしないんだろうねぇ」う、うん、それはそうだと思うけど・・・。

たまたま免許の住所変更に訪れ、偶然食べた警察署のパンにすっかり虜になった母は、「早く月曜日が来ないかしら・・・」と降りしきる雨を眺めながらつぶやいていた。

今後もきっとこの「ぢょしアナ日記」に登場するだろうが、ウチの母はハンパじゃない。あえて死語を使って語らせてもらうと、「飛んでるかあちゃん」なのだ!

例えば、私が女子アナの採用試験に受かった頃、宮沢りえがヌードになり、 誰も彼もが脱ぐヌード写真ブームが起こった。その時彼女は、「ねえ美紀。アナウンサーでヌードになった人は未だいないんだから、あんたやりなさいよ。人間、咲かせる時期が大事よ」と真剣に勧めていた。この人は一体何を、どう咲かせたいのだ?!とにかく、自他ともに認めるすごいオンナ。この自他の他が、またすごい。

中学生の時、クラスの友達が「ウチのママすごく恐いの」「何言ってんだよ。俺んちのかあちゃんの方が恐いぞ!」と、母親の恐さ比べをしていた。私は話題に入ろうと、何気なく「え〜、ウチのお母さんも恐いよ」と言ったら、それまでの言い合いがパタっと止み、「そうだよな。原元んちには負けるよ」とみんなが譲り出した。かくして、ウチの母は満場一致で「ああ、鬼っ母選手権 初代チャンピオン」になってしまった。(しかも未だにディフェンディング・チャンピオンだと思われる)

こんなに書いてしまったが、私は自他ともに認めるほど、母親似だ。


1997.11.27

今週の「はーい 朝刊」は、ちょっと久しぶりに外に取材に出た。

埼玉県の平和資料館で開かれている「戦争と紙芝居」展。紙芝居の歴史を通して、戦争と子どもたちとの関わりを考えるという催しだ。

紙芝居が子供の娯楽として人気が出たのは、昭和初期。「黄金バット」の大ヒットで、一躍ブームが訪れたのである。初めは父母たちに「教育上良くない」などと評判が悪かったのだけれど、あまりの影響力の大きさに、軍が白羽の矢を立てた。以後、紙芝居は子どもたちの戦意高揚をはかるために利用されていく。

軍国少年が主人公の「僕等のつとめ」。台湾沖で米国空軍を相手に大勝利を治めた様子を描いた「神機いたる」(神風吹くと同じようなイミ)。いずれも「忠君愛国」「勤勉貯蓄」などがテーマだ。(私なんか、タイトル聞くだけでも凍り付いてしまった・・・)

ここまではよく話に聞いていたのだけれど、戦後にはこんな紙芝居が生まれた事を知っているだろうか?

「獅子帰る」。檻から逃げ出したライオンを連れ戻そうとムチなどで追い立てようとするが、ライオンは言う事を聞かない。そこで、一人の少年が笛の音で優しく説き伏せると、ライオンは自ら檻に帰る、というお話だ。

これは、昭和23年、当時の人気画家・山川惣治氏を起用して作られた『子どもたちに民主主義を説く役目を負った』紙芝居なのである。

その後、紙芝居は冒険モノや、時代劇など、エンターテイメントを目指していくが、漫画雑誌やテレビの台頭で、今ではすっかり忘れ去られてしまった。けど、時代に翻弄され、単なる娯楽以上の何かを背負わされたということは、忘れてはいけないということを感じた。

**おまけ**

紙芝居には免許が必要だって知ってた?駄菓子を扱うので、保健所の許可も必要だし、行商をするのでちゃんと登録をしなければならなかったんだって。ちゃんと「紙芝居条例」っていうのがあったんだってさ。

**おまけ・2**

浜崎氏が「大人の紙芝居ってないかなあ。ポルノなんてやったら人気出るだろうなぁ・・・。」とつぶやいていた。それいい!日活あたりでやってくんないかなあ。そしたら私、弁士やってみたいなぁ。・・・って、やれるかぁ!


1997.11.25

「毎日毎日あんなに奇麗にお化粧して、そんなに男にモテたいのかねえ〜」これは、今日たまたま喫茶店で隣り合わせたオヤジたちの会話である。バキッ!私はその瞬間、右手で持っていた割り箸を折った。「ばかやろお!うぬぼれんなぁ!」

突然だが、諸君ら男は「オンナは誰のために化粧をするか?」考えた事があるだろうか?「そりゃぁ、男にモテたい為だろう」と答えたあなた、帰ってよろしい。オンナを語るにはまだ早すぎたようだ。もしくは古すぎる!では、「彼氏の為」と答えたあなた、彼女が恋をしている時なら、それも正解と言えよう。でも、この時代、真実の答えは「オンナはオンナの為に」である。

以前そんなCFもあったが、「本当に気になるのは男の目線より、オンナの目線」なのである。今のイイオンナは、男から見てイイオンナより、オンナから見てイイオンナである事を選ぶ。

ではここで、外見から判断できるイイオンナの見分け方講座!

  1. 指が奇麗である。
  2. 肌が奇麗である。
  3. 靴が奇麗である。
  4. 下着が凝っている。

この条件を満たしていれば、かなりイイオンナだ。しかし例外もある。残念ながら私はどれも当てはまらないからだ。ん?どーいうイミだ?

  1. 指がささくれ立っている。→指をむかないとアイデアが浮かばない。
  2. 肌が荒れている。→夏に化粧品にかぶれて以来、皮膚科に通っているほど。パソコンの電磁波という噂も・・・。
  3. 靴がメチャクチャ→足のサイズが22cmと小さい上、内股なのでよく転ぶ。
  4. 下着がメチャクチャ→視力が両眼とも0.03と悪い為、パンツを裏返しに穿いたり足を通す穴をよく間違える。おかげでパンツの形がアシンメトリーだ。(だって眼鏡やコンタクトが無いと、もう横山やすし状態なんだもん)プラス、冬はババシャツというおまけ付き。(責めないでっ!あのダイアナ妃も着てたんだからーっ)

まあ、私自身の事は置いといて、と。このホームページを読んだ諸君は、あんな時代錯誤なセリフを言わないだろうと信じている。


1997.11.24

局アナ時代の写真や資料を整理した。

雑誌のいわゆる「美人(?)女子アナ名鑑」に載ったモノや、マンガについて語っている新聞記事、ファンの方たちから頂いた手紙や写真・・・。(よく聞かれる事なんですが、皆さんから頂いたものはちゃんと大事に取ってありますよ。)これぜ〜んぶ、私に子供ができた時、「ママはね、アナウンサーだったのよ。」と語るための小道具にするつもり。

あれっ?これなんだっけ。たったひとつ、覚えのない雑誌の切り抜き。「'92 CBCに6人のアナウンサーが新しく加わりました。」というコピーが付けられている。そうか、確か地元・名古屋の学生向けの就職情報誌に取材されたんだっけ。恐らくこれがアナウンサーとして受けた初めての取材だ。

一人々々の写真とプロフィールが紹介されている。質問がいくつかあって、私の答えはこうだった。

  1. アナウンサー志望の動機・・・感動を紹介したいから。(ウソツキ!真実の動機はこのホームページに書いた通りなのだっ)
  2. 理想のアナウンサーとその理由・・・桜井よしこさん。語り掛けるような伝え方に人柄が滲み出ているから。(これはほんと。私も確かに人柄は出てるのかもしれないんだけど、その人柄ってのが問題なんだよね。私の場合。)
  3. 誰か一人にインタビューが許されたら、誰を選び、どんな質問をしますか?・・・ビートたけし氏に。「物欲・食欲・性欲・金銭欲・出世欲の中で、どれを一番醜いと思うか」

ぎぇっ!!なんだこりゃ?!私って新人の頃こんなこと考えてたの?なんかヤーっ!可愛い気ない〜。こんなの子供に見せらんないよ。

*** オマケ ***

同期の他の女子アナウンサーたちの答え。(どうせ雑誌に公表されてるんだからイイよね。)

ちゃん・・・フセイン大統領に。「今、何をやっているのですか?」ふんふん。確か湾岸戦争の後だったからね。おかげで私たちが入社した時、バブル終わってましたよ、フセインさん

ちゃん・・・ダイアナ妃に。「王室の生活について」Tちゃん、夢は叶わなかったね・・・。


1997.11.22

オンナは結婚をするとだいたい名字が変わる。離婚をするとたいがい元に戻る。

私の友人で激しくそれを繰り返す奴がいる。その度に私のアドレス帳は塗りつぶされる。(こんな所にまで支障をきたしているとは、彼女は想像もしていないだろう。)

そのおかげで、私は誰かが結婚すると、人によって、アドレス帳を旧姓のままにしておくべきか、ちゃんと書きかえるべきか、予測を立てる様になった。

凝りもせず、彼女はまた結婚をした。電話をもらった時、「おめでとう。今度こそ幸せになってね。」などと言いながら、頭ん中では(いや、アドレス帳はとりあえず旧姓のままにしとこう・・・)と考えてしまってた私って・・・意地悪?だって〜さ〜、ね〜(笑)


1997.11.20

久しぶりに浜崎さんとの「はーい 朝刊」。やっぱりいつものパートナーとの方が気心が知れているのでやりやすい。でも、その分歯止めが利かない。今夜はこうだ。

<以下再現>

原元 「大正6年に創刊された雑誌『主婦の友』の80年の歴史が、CD-ROMになります。料理や買い物のページなどから、時代をうかがい知る事ができるのですが、中には、『男性と並んで歩いてしまったので、もうお嫁に行けない』という読者からの真剣な悩み相談もあるそうです。」

浜崎キャスター 「大正時代の女性は奥ゆかしいですね。原元さんなんか、何度も男の人と並んで歩いたのに、結婚できないのはなぜ?と思ってるんじゃないですか」

原元 「いいえ。何度も何度も歩いたのに、結婚したい男の人がなかなか現れないのは、なぜ?と言った方が近いですねえ。まあ、今夜はこの辺で失礼します。」

私が男だったら、テレビでこんなこと言う奴、嫁になんかしたくない。


1997.11.19

私は月に10冊くらいマンガを買う。一週間に2冊以上というペースだ。けど、その中には一回読んだらもう読み返さないモノ、そして、何度も何度も読み返し、じっくり味わうモノがある。

最近では、山岸涼子の「ツタンカーメン」にはまった。これは、一度「封印」というタイトルで白泉社から2巻まで出版されたのだけど、なぜか中断。出版社を変えて、今年9月にやっと完結された作品である。

考古学者のハワード・カーターがイギリスのカーナボン伯爵の資金援助を受けて、ツタンカーメンという少年王の墓を発掘するまでの史実を元に描いた大作で、世紀の大発見となった未盗掘のファラオの墓の発掘に、カーターとカーナボン卿の娘との恋のエピソードや、エジプトにおける王墓発掘の歴史、また、ツタンカーメンが発見されて政治的な策略に翻弄されるカーターたちのその後の悲劇などが絡み、太古のエジプトを舞台にした壮大なロマンが繰り広げられている。

コマの隅々に登場するエジプトの遺跡やファラオの装飾品など、どれも丁寧に描かれていて、何度見てもうっとり。その繊細な画風通り、ストーリー運びも最近では珍しく無駄のない上品で美しい作品だと、かなり気に入った。

私は小学生の頃に「王家の紋章」という古代エジプトを舞台にしたマンガにはまって以来、ずっとエジプトに憧れていた。ヒロインのキャロルのように、いつかエジプトに行ったら、周りに反対されても絶対ナイルの水を飲んでやろうと(!)思ってたほど。そうすれば、またエジプトに戻ってこられるとの言い伝えがあるらしいのだ。(お腹壊すだろうけど、ちょっと我慢すればいーやね)

ところが、そのエジプトでテロが起きた。日本人を含んだテロ事件としては、死亡者が10人と、最悪の結果となってしまった。しかも新婚カップルが4組も。現場は、代表的な観光地ハトシェプスト女王の葬祭殿。知ってる。マンガで何度も読んだ場所。いつかは私も行くんだと、そのテラスに立つ事を楽しみにしていた場所だ。新婦も私のようにマンガに影響されて新婚旅行の地に選んだのかなあ。マンガで夢見ていた場所が、こんな卑劣なテロ事件の現場になってしまったという事が、悔しい。


1997.11.16  祝原元美紀ホームページアクセス10000件突破記念オフ会

とうとうオフ会の日。会場となった名古屋市金山の「タベリターノ」に向かう。このお店は、CBCラジオで「ハワイのゴッド姉ちゃん」としておなじみのタレント、ルーシーが7月にオープンしたばかりの洋食屋さんだ。

昼の12時半受付開始なのだけれど、私たちスタッフが12時頃お店に着いた時には、すでに10人くらい参加者が集まっていた。「あ〜、ホントに来てる」、ちょっとじ〜ん。

午後1時、スタート。まずは、私があいさつ。今日こうして私のホームページのオフ会に参加してくれたお礼を述べる。そして、私が適当に作っちゃった「原元応援会」という恥ずかしい口座にオフ会費を振り込んでくれた時点で、「あなたたちは既に会員です。」と認定。しかし、会長は私・・・。

乾杯。おいしい食事とワインを頂きながら、しばし歓談。やはりテーブルごとにパソコン談義に花が咲いていた。そして、参加者の自己紹介。やっぱり「オフ会らしいな〜」、と思ったのは、本名よりも、ペンネームやハンドルネームを告げる度、「あ、あの人かぁ・・・」とどよめきが起きる事。イメージ通りの人もいれば、そうでない人(?)もいて、おかしかった。

今度は、私がミンナのテーブルを回って、一人一人とお話しをして、ポラロイド写真を撮る。出来上がった写真にメッセージを書き添える。我ながら感心したのは、あたしって、ちゃ〜んとミンナのペンネームと本名覚えてんだよね。メールの署名の文字まで。スゴイでしょ。

ミンナも自分のカメラでバシャバシャ撮ってるんだけど、さすがにデジカメばっかりだから、一斉に取った後すぐ液晶で確認する姿がまた「オフ会ならでは」の光景でおもしろかったなあ。

さて、お約束していた原元美紀ビデオ上映会。(ちょっと恥ずかしかったけど)ペクルドさんがホントにテレビデオを持ってきてくれた。ビデオは何本か持って来ていたんだけど、全部見る時間はないので、ミンナにどれが見たいかリクエストを取ったところ、やっぱり「はーい朝刊」とアニメだった。

まずは「はーい朝刊」。オープングで私と浜崎氏のツーショットが映ると、私がスーツを着てまじめにニュースを読んでいるということで笑いが起きる。くそぉ・・・。浜崎氏のアップのシーンでは、「これがあの浜ちゃんか」という呟きが漏れ聞こえる。(浜崎さん、結構ギャグ受けてましたよ)

次はアニメ「水色時代」。これは、昨年の10月に私が念願のアニメ声優デビューを果たした作品だ。中学校が舞台の学園モノなんだけれど、私の役はゲストキャラで、「金子」という役名。授業をボイコットする計画を進めるちょっと意地悪な主人公のクラスメート。

どれが私か教えずに上映してみたんだけど、さすが皆さん一発で判っちゃいました。エンディングロールで、キャストが順番に発表される。あった、「金子役 原元美紀」。その瞬間、「おお〜!」と拍手が起こる。ありがとう。実は、私も何度見ても感動しちゃうんだよね。ミンナに「夢が叶って良かったね」と言ってもらえてホントに嬉しい。

そして、ビンゴ大会。今日のために読売新聞やらCBCやらいろんな所からいろんな景品をかき集めた。ただし、ビンゴになった人には、今日だけの特別ルールで、「ビンゴ!」という代わりに「原元 オフ会万歳!」と叫んでもらう事にした。この頃には私も開き直っていたのか・・・?

気になる景品は、1位に、私の音声ファイルを後日メールで受け取れる券。2位は、幻の(?)「CBCラジオ もぎたてのカボチャたち特製 原元 美紀カレンダー」。3年前のだけど。3位は、これまた幻の(?)「CBCラジオ まるカウントダウン特製 原元美紀腕時計」。などなど。

さあ、そろそろお開きかな〜という頃、意外なゲストが駆けつけてくれた!なんとつボイノリオさんだぁっ!!どよめく参加者たちと一緒に私まで嬉しくて叫んでしまった。
つボイさんは私がCBC時代番組や夜遊びなど、いろいろとお世話になった方だ。そして、私にパソコンを勧めてくれた方でもあるので、いわばこのホームページの恩人だ。(しょっちゅうネタになってるし。)

実は、事前に声は掛けさせて頂いてたのだけど、オシゴトがあるので、それが早く終われば行けるかもしれないという難しい状況だったのだ。とにかくつボイさんの乱入(?)で、終わりかけていたオフ会はまたまた盛り上がってしまった。つボイさん、どうもありがとう。お忙しいのに、私、強引に誘っちゃって、ゴメンね。「原元はつボイさんの為なら死ねます!」と、一瞬そんな気分になりました。最大級の感謝です。

つボイさんを囲んでパソコンの話やなんやで盛り上がりながら、私はサインの続きをせっせと書いていた。事件はそこで起こった。

自分のノートブックパソコンを持って来て、フタにサインを書くよう頼まれた。「え〜、高そー。こんな大事な物に書いちゃって良いのかなあ」と思いながら、「なんて書く?」と聞いたら、その方は電車の運転士さんだったので、ちかてつ、万歳!と書いて下さい」と言った。

私は「へ〜、名城線の運転士さんなのぉ」とか言いながら、「近鉄、ばんざ〜い!と書いた。
とたん、「ああっ!違う!」という悲鳴。

「それじゃあ、きんてつだよ」とミンナの声。

えっ?!これ近道のちかで「ちかてつ!?」って読むんじゃなかったんだあ。私今まで十何年も、ずっとこうやって書いてたよ。初めて知った。


そんなことよりも、どうしようこのサイン。彼は会社でパソコンを使っているのに・・・。近鉄線は名古屋にも通っているので、一応名城線のライバルじゃん!!私は真剣にゴメンねと謝った。

彼は「いやあ、プレミアものになりましたよ」と言って許してくれたけれど、周りのミンナは、「うわ〜、原元さんの生ボケ見られちゃったよ」と盛り上がっていた。う〜・・・。生ボケってなんだ、生ボケって!

いらん恥をかいたところで、ちょうどお開き。つボイさんが、「原元のホームページと、つボイさんの番組『CBCラジオ 聞けば聞くほど』の発展、そして、皆さんの今後の異性運が良くなるように」三本締めをして会を締めてくれた。ははは。こらっ!どーいう意味だっ!

結局、盛り上がり過ぎてオフ会は三時間を越えた。

残念ながら参加できなかったけど成功するよう応援してくれた人たちや、祝電や差し入れをしてくれた人たちも、どうもありがとう。

欲を言えば、もっとみんなとホームページについて話したり、全員で集合写真を撮り忘れてしまったことが心残りだけど、ほんとにほんとに感謝、感謝です。

これからもよろしくね〜。


1997.11.15

明日のオフ会のために名古屋へ向かう。

新幹線の中でパソコン開いて、ミンナにメールを書く。(一度こーいうできるオンナっぽいコトしてみたかったんだよね)あんまり揺れるので酔う。でも、同じ書くなら手書きよりワープロの方が楽だなあ。だって、字が乱れないんだもの。

夕方、CBCラジオでスタッフと待ち合わせ。ちょうど「まるっと土曜日」という番組が生放送中。この番組は以前私も出演していたので、顔を出した。ついでに放送にもちょこっと。多田さん、久野さん、塩見さん、丹野さん、というアナウンサー陣に加え、あの野球解説者の牛嶋和彦さんもいっらっしゃった。ラッキー!

私はいつも名古屋に来る時、東京駅でお土産を買うんだけど、今日は急いでいたので買いそびれてしまった。そこで、名古屋駅で買ったんだよね。「ういろうを。だって、名古屋の人ってお土産では買うけど、実際なかなか自分で食べた事は少ないんじゃないかなと思って。私もそうだったもん。いざ名古屋を去る時に初めてちゃんと食べたら、すっごくおいしかった!もっと早く食べれば良かったと後悔したくらい。

でも、なんだかあんまり喜ばれなかった気がする。自分なりに気を利かせたつもりだったのに。深読みし過ぎたかなあ。


1997.11.14

偶然この間、「クマテツ」こと、あの熊川哲也の写真展を見た。ベッドの上でシーツをクシャクシャにして横たわるクマテツ。どこか南の島の大自然の中、腰に布だけ巻いて踊るクマテツ。(ふんどしにも見えたけど)10万円もするパネル写真が、見ている側からバンバン売れていく。確かにキレイだ。さすが上質を知る男・・・。

それにしても、私も大人になったもんだ。昔はキレイな男を素直に認められなかった。だって、私が殴ると、「わ〜ん」って泣いちゃいそうなんだもん。男なんだから、女のパンチやビンタやケリくらい受け止めろ!何書いてんだか判んなくなってきたけど、とにかくそーいうこと!!


1997.11.13

「はーい 朝刊」、今夜はSキャスターと。相手が変わってもニュースについてコメントをするのは同じ。

私の書く原稿は、普通だとなぜか突っ返される。「え〜、原元さんらしく、もっとスゴイこと言ってよ」と言われるのだ。いつもそんなにスゴイこと言ってるつもりはないんだけど、そういうイメージになってるんだろうな。

ちなみに、私が自信を持って書いた原稿ほどボツになる。一番残念だったのは、数ヶ月前、女子高生がホステスをやって荒稼ぎしていたというニュースで、

男性キャスター 「『女子高生がホステス』と聞いても驚かないような変な世の中になってきましたねえ」

原元 「そうですね。女子高生が『ホスト』だったらびっくりしますけど・・・」

なんでボツになっちゃたんだろう・・・?まあ、いいや。では今夜の番組をちょっとだけ再現。

<以下再現>

原元 「一泊二日の北海道や九州旅行が人気です。これなら仕事で忙しいお父さんも週末に家族サービスができますね。」

Sキャスター 「いやあ、元気な奥さんや子どもたちはお父さんなんて当てにしないで、自分たちでどんどん行ってますよ。」

原元 「そうですかぁ・・・。家族のみなさん、お父さんも誘ってあげてくださいね。

今夜もボツになるだろうと思ったら、採用された。ちょっと嬉しい。


1997.11.12

う〜ん、引越しって大変なのね。今日は母に付き添って風水を見てもらった。

引っ越した後に駄目って言われても困っちゃうんだけど、「ぜ〜んぶ本気にはしないけど、一応聞いときたいな」って彼女は思ったんだよね。

先生が住んでいるのは、東京・下町の裏の裏。(その時点でかなり恐い)実際に会ってみたら50歳くらいの普通のおじさんで、「な〜んだ」って思ったんだけど、実は82歳!!だと聞いてひっくり返りそうになった。こういう人たちって、時間の流れが違ってるみたい・・・。

悪い事は言われなかった。とくには。ただ一つ、私の部屋は西北に向いてるんだけど、それは大黒柱の寝る部屋だから、父と交換しろと言われた。そうじゃないと、増長しちゃって生意気でワガママで聞く耳を持たない傲慢な人間になってしまうんだってさ。おまけに婚期も逃すらしい。(もう遅い気がする)

すると、突然母が「この子テレビに出る仕事をしてるんですけど、もうさっさと辞めて結婚でもした方が良いんじゃないでしょうか?」と聞き出した。えっ!お母さんそんなこと思ってたの?あたし全然知らなかったよ。だっていつも「結婚なんていつでもできるんだから、仕事頑張りなさい」って言ってくれてたのに。そりゃないよ。母は、思いがけず本音が出て、「しまった〜」という顔をしてた。

しばし沈黙の後、「いや。この子は大丈夫。結婚も仕事もできますよ」と先生は言ってくれたけど、私たちは気まずいまま帰った。


1997.11.8

私ってつくづく黒人男性に縁があるのかしら。今日もまた、出くわしたんだよね。

私が通っているタップダンスのレッスン場は駅ビルにある。エレベーターに乗らなきゃならないんだけど、これがいつも込んでいて、一度逃すと10分近く待たされる「開かずのエレベーター」だ。今日は遅刻をしそうだったので急いでたら、運良くちょうど扉が開いた。だけど私は10mも向こうにいるから間に合わない。でも乗りたい。

「ああ、閉まる・・・」 私は、ちょうどその前に立っていた二人の黒人の男性に「上、押して〜!アップ!アップ!」と、向こうから走りながらボタンを押してくれるように頼んだ。だけど、何を思ったか、ボタンを押すどころか、エレベーターに飛び乗ろうとした私を抱き止めてしまったのだ?!

非情にも目の前でエレベーターは閉まった。私はなぜか黒人男性の腕の中にいる・・・。どうして?彼は「ゴメンねゴメンね。」と、日本語で謝り、私が自分に抱き着いてくるのかと思って、条件反射で抱き止めてしまったと説明した。(フツー思うか?日本人男性ならまず無いね。)

私は結局レッスンに遅れ、タップシューズで傷を付けない様に床に板を敷き詰めるというレッスン前の作業に加われず、お局様にニラまれてしまった。だからヤだったんだよね〜。


1997.11.5

16日のオフ会用の銀行口座を作った。名義をどうしようか考えたんだけど、ただ私の名前だとつまんないから、「原元応援会」と書いてみた。ちょっと照れくさいけど、応援してくれるみんなと会うのだから、あながち外れてはないだろう。でも、それじゃ通らなかったんだな窓口のお姉さんが、

窓口 「会社などの団体でないのなら、名義に代表者名を加えて書いて頂きたいのですが」

原元 「あっ、そう言えばそうですよねえ。代表者は私なんですけど・・・」

窓口 「えっ?ご本人様が応援会の会長様なのですか?自ら・・・。あの〜、何をやってらっしゃるんですか?」

原元 「・・・はあ、パソコンでちょっと・・・。」

ヒ〜、これ以上聞かないでくれ〜。まさか「アナウンサーです」なんて言えないよ。自分で自分のファンクラブの会長してると思われちゃうもんね。なるべく顔を見られない様にして銀行を後にした。

結局、口座の名義は、「原元応援会 代表 原元 美紀」だ!さあ、恥ずかしい思いをして作った口座だ。みんなバンバン会費を振り込んでくれ〜!(笑)


1997.11.4

私の夢の一つに、「原元ビルヂング」というのがある。1階は、ゲームセンター2階は、マンガ喫茶そして3階は、マッサージルーム。だって、ゲームやったりマンガ読んだりすると、結構体が凝るでしょ。だから遊んだ後は、マッサージも受けられるという、至れり尽くせりの「快楽の館」なのだ。

いつの日か夢が実現した時の事を考えて、私は今から上手なマッサージ師を捜し歩いている。今日も、ぶらっと入った有楽町のラーメン屋で、「ママさん、この辺で良いマッサージ屋さん知らない?」と早速リサーチ。ところが、そのママさんが、「やあねぇ。お姉ちゃんそんなとこ行くことないよ。疲れてんならあたしがやったげるよ。」と私の肩を揉んでくれたのだ。「えっ、いいですよ」と言い終わらないうちに、ママさんのテクニックに悶絶。う、うまい・・・(ラーメンより!?)。

引越し疲れの私の体は、もう「マッサージされるモード」。ママさんに体を預けながら、「よし、この人もスカウトしよう」と心に決めた。また一歩夢に近づいたぞ!


1997.11.3

十一月。毎年この時期になると、が騒ぐ。そう、酉の市なのである。

何を隠そう、私は大学生の時、浅草の鳳神社で、熊手売りのアルバイトをしていたのだ。(ホントはCBCの局アナ時代も、このシーズンは休みを取って働いてた!時効。)

地下鉄日比谷線三ノ輪駅で降り、神社までは500mくらい。でも、たどり着くのは大変だ。道の両脇は出店で埋め尽くされているから。たこ焼や水飴を手にし、お腹一杯になった頃、ようやく境内につく。鳥居をくぐると、3mもの高さの屋台に、熊手がびっしりと飾られ、裸電球がそれを照らしている。見上げると、まるで万華鏡の中に紛れ込んでしまったかのようだ。

半てんにネジリ鉢巻きをして、「社長、勉強するよ!」と客を呼び込む。(これでプラカードでも持っていたら、怪しい商売みたいだなあ。)私はこれでもお店の看板娘で、かなりの売り上げを稼いでいた。

ちょうどバブルの真っ最中だったあの頃は、一晩で数百万くらいは売ってたよ。一年に二回か三回の「お酉様の日」は、30時間労働で、ず〜っと立ちっぱなし。たった三時間の休憩は、近所の吉原の連れ込み宿(!)で寝かせてもらう。玄関にあがると、チェックアウトまで靴を隠されちゃうんだよ!

そんな過酷な労働でも、なぜか楽しかった。「私、今下町文化の中に生きてるんだ!」と、自分の肩に江戸の文化をしょってる気でもいたんだろう。

あんまり素質の良い(?)私は、卒業したら熊手屋にならないかとスカウトされた。ちなみに私のバイトした熊手屋は歴史があるお店で、副業を持たない。一年に三ヶ月くらい働き、残りは、遊んで暮らすのだ。アナウンサーになるか熊手屋になるか一時期真剣に悩んだのだが、親に一笑され、結局アナウンサーを選んでしまった。

でも、今だに「シャンシャンシャン」という三本締めの音が聞こえてくるともうたまらない。今夜も挨拶するだけのつもりが、つい、「おかみさん、そこの半てん貸してちょうだい!」と叫んでしまった。やっぱり職業の選択を間違えたかも。

*

/