2009.7.22 スタコン夏の大合宿!
スター混声合唱団恒例、夏の大合宿が開催されました!
お邪魔したのは、いつもスタコンを応援してくださっている山田邦子団長の友人 F さんの別荘です。
静岡・伊東にあるのですが、海が目の前で、本当に景色が素晴らしい!
水もとっても綺麗!
こんなに澄んでます。
さて、とにかく今回は参加者が多い!
初参加の原田大二郎さんなんか、急遽参加してくださったのは大歓迎なのですが、 泊まるお部屋が足りないくらい!
「あ、俺、ここでいいよ。」なんて、 なんと大広間で寝るというのです。
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こうして段々規模も大きくなってきた合宿ですが、3回目ともなると、練習も高度でハードになってきました。
複雑なハーモニーの音程が取れず、頭を抱える人も続出・・・。
普段ソプラノの私ですが、今回ハモりに回ってみようとアルトにチャレンジしたら・・・、あまりの難しさに終始頭をかきむしっている始末でした。
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絶対音感を持つ梅田陽子ちゃんと、「そもそも合唱は大学以来なんだよね。」と真剣な表情の久能靖さん。スタコン最年長の久能さんの大学生時代とは、果たしてどれくらい昔のことなのでしょうか(汗)
よく見ると、サンダルを脱いで足でリズムを取っています。
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頭も身体も使いみんなヘトヘト。-
休憩にいただいたスイカで生き返ります(汗)。美味し〜♪
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ところで、今回の練習では、「はい、並んで〜!」と、いきなり邦子団長からカラフルな棒を渡されました。
何かの応援!?
実は、この8本の棒、それぞれ長さが違っていて、叩くと、ドレミフファソラシドの音が鳴るのです。
しかし、やってみると、これまたタイミングが難しい。
ステージで披露するのはもう少し先になるかもしれません・・・。
特訓の後は、お楽しみの打ち上げです。
邦子団長から「みんな上達しました!」と嬉しい一言をいただき、めでたく乾杯!
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夕暮れて、心地よい風も吹いてきました。-
踊ったり、語ったり、恋バナなんかも出たりして・・・。家族のようにどんどん仲良くなる私たち。
年齢も職業もみんなバラバラなのに、ここまで親しくなるとは、本当に思いもよりませんでした。
あの倍賞千恵子さんと手を繋いでぐるぐる踊ってるなんて、よく考えたら不思議です。
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さあ、まだまだ盛り上がります!
締めはやっぱりカラオケ!
大広間に戻ると、なんと、邦子団長が景品を並べていました。
歌った人から景品をもらえます。
靴下をGETした川原みなみさん。
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「よし、じゃあ、スマップの『世界でひとつだけの花』を歌おうよ!」と立ち上がったのはご覧のメンバー。
スタコン男性陣と日本テレビの中野謙吾アナ。
実は私、中野アナとは、日テレNEWS24時代に夜の番組のスポーツコーナーで、ご一緒させていただいたことがあり、すっごく懐かしい再会となりました。
中野アナは現在邦子団長と一緒に「おもいっきりDON!」の釣りコーナーに出演されていて、スタコン合宿に合わせて夏休みを取り、奥様とお子さんと参加してくれたのです。
しかし、「いや、あたしはこんなスマップは認められない」と団長からダメ出し。
撃沈・・・。
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夜も更けて、ようやく就寝。
「じゃあね〜、お休み〜」
と、原田さんは本当に
大広間で布団を敷いてお休みになりました。-
翌朝、合宿の成果を中野アナとお子さんに披露しました♪
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せーの♪-
すると・・・、-
「うわーん」
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号泣(汗)
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邦子団長 「そりゃあ、いい年したおじさんおばさんが一心不乱に歌って踊ってたら怖いよね。ごめんね〜。」
うーん、特訓の成果が心配になってきました。
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FさんとフィアンセのMさん、シェフのUさんそして中野アナを囲んで記念撮影。
Fさん、ありがとうございました。
<参加者>
山田邦子団長、赤星裕子、石原裕子、梅田陽子、奥村伸樹、川原みなみ、神田きらり、久能靖、小林昭子、後藤史郎、榮萌果、嶋崎伸夫、春風亭朝也、倍賞千恵子、橋本志穂、原田大二郎、原元美紀、古田一哉
2009.7.20 越路吹雪ーエディット・ピアフ
戦争、その後の高度経済成長、昭和の時代とともに生きた国民的シャンソン歌手、越路吹雪さん。
実は、宝塚歌劇団を退団した後、スランプに陥った彼女は、終戦間もない昭和28年、活路をパリに見出します。
一体パリは彼女に何を与えたのか・・・、探りに飛びましたっ
私にとっても、初めてのフランス。
シャッル・ドゴール空港に到着したら、現地は夕方でした。
取りあえず腹ごしらえ
時差ボケと闘いながら、エスカルゴを無理やり(?)食す私。
夜でも明るいフランス。しかし、翌日からのロケに備え、今夜は早めに就寝です。
こんなにかわいらしいホテルに泊まりました。
映画みたい!
さあ、目覚めも良く、フランス・ロケ開始!
まず目指したのは、パリで一番小高いところに位置するモンマルトルの丘。
パリの街が一望できます。この日は雨にけぶった情緒溢れる街並みが見られました。
白亜のサクレ・クール寺院。
そして、テルトル広場。
日本語ぺらぺらのフランス人カメラマン、ジャンさんとJディレクター、写真を撮ってくれているコーディネーターTさんが今回のクルーです。
スケッチブックを持った画家たちが「似顔絵、似顔絵」と声を掛けてきます。(割と強引)
実は、越路吹雪さんもパリの芸術に触れようと、ここで似顔絵を描いてもらったのだそうです。
「おじさん、いつからやってるの?」
「60年くらい前かな」
「え!?」
「ポーランドから来たんだ」
なあんておしゃべりを楽しみながら完成を待ちます。
因みに越路吹雪さんは出来上がりを見て、思わず
「下手くそ」
とこぼしたそうです。
私の場合は・・・、すいません、これ似てますかぁ?
ひょっとして55年前に越路吹雪さんの似顔絵を描いたのは、このおじさん?
と、まあ、絵画、レビューなど、一流と呼ばれるパリの芸術に触れるたび失望していく越路吹雪さん。
何もつかめないまま一月が経ち、さして期待もせずに訪れたショーで、彼女は衝撃を受けます。
流れてくる甘く切ないメロディー、しかし歌声は力強く心を揺さぶる・・・、その歌手の名は、エディット・ピアフ。
シャンソンの女王です。
その時の衝撃を越路吹雪さんは日記にこう記しています。
「身体の中から、血の中から湧き出てくる歌を感じました。」
越路吹雪さんの代表曲となった「愛の賛歌」は1949年にレコードが発売されています。
あるとき、代役で突然歌うことになり勧められたのが、この曲だったそうです。
メロディを聴きながら、宝塚時代からのパートナー岩谷時子さんが即興で日本語の歌詞をつけていき、今でも歌い継がれるほどの名曲となりました。
名曲とは、案外こんな奇跡的な偶然から生まれるのかもしれませんね。
歌は瞬く間に大ヒットとなりましたが、越路吹雪さんは、舞台に立つことに限界を感じ、その4年後の1953年渡仏。
そして、パリの地で、ピアフ本人の歌う「愛の賛歌」を聴く機会が訪れたのです。
果たして、ピアフが「愛の賛歌」を歌う姿を目の当たりにした越路吹雪さんの衝撃は想像に硬くありません。
彼女はその晩、「私は月夜の蟹だ」と泣きました。
月夜の蟹とは、中身が無いという意味。
ピアフと比べた自分は、なんて中身の無い歌を歌い聞かせていたのだという自己嫌悪に襲われ、そして、これまでの自分のかなぐり捨て、歌に人性をかける決意をするのです。
後にこの決意は彼女の心身に歓びと同じだけの苦痛をもたらすことになります。まるでピアフの生き様のように。
越路吹雪さんがピアフの歌を聞いて衝撃を受ける場面のイメージをこんな素敵なシャンソニエで撮影させていただきました。
まるで洞穴でしょ?
本場フランス人歌手の方にピアフの歌を歌っていただこうと日本にいたときから計画していたのですが、実は、これがなんと困難なことだったのです。
何人もの歌手の方にお願いしたものの、みな、「『愛の賛歌』はとても重くて、簡単には歌えないのよ。」と断るのです。
フランス人にとって、この歌はピアフが亡くなった今でも特別な存在だということがよく判るエピソードです。
唯一人快く引き受けてくださった方は、偶然にも小柄で、身長142センチだったピアフと少し感じが似ていました。
日本から来た私たちのために心を込めて「愛の賛歌」「ばら色の人生」「水に流して」といったピアフの代表的なナンバーを歌ってくださいました。感謝。
ところで、『時空ミステリー』のイメージカットということで、こだわり派のJディレクターからは厳しい演技指導も。(普段の事件リポートとは勝手が違います。)
「はい、マッチでタバコに火を点けて。越路吹雪はヘビースモーカーだっったから。彼女みたいに。」
ひー。私、タバコ吸ったこと無いし。もんのすごい手が震えてしまいました
「次は『愛の賛歌』のサビを聞きながら、涙を流してください。」
へ?目薬とか使わないの?自前の涙ですか?
一発勝負で頑張りました。
ピアフの壮絶な人生を思い浮かべ、私が号泣しだしたので、周りはドン引きでしたが。
最大のヤマ場のロケも済み、街へ繰り出します。
あちらに見えるは、もしや!
そう、憧れのオペラ座!
「オペラ座の怪人」好きの私としては、大興奮です!!!
語りつくせないほどの想いがあるので、もう語りませんが、荘厳で美しかった〜
越路吹雪さんも、このオペラ座に魅了されたのでしょうか。すぐ近くのこじんまりとした3階建てのホテルに逗留したそうです。
ということで、パリの中心地に降り立つ越路吹雪さんのイメージも、このオペラ座の前で撮影しました。
車も当時タクシーとして使われていたものを発注。当然今は走っていないクラシック・カーだとか。(乗り心地はかなり悪い)
すると、ドライバーのお兄さんはハンチング帽をかぶってムードを盛り上げてくれました。
さすがパリっ子、粋だねぇ!
ライトアップされた夜のオペラ座は一層素敵です!
スカーフを真知子巻きにして気取って見ました。岸惠子さん風?
さ、お次は「世界でもっとも美しい通り」と形容されるシャンゼリゼ通り。
凱旋門は45メートルもの高さがあって、展望台もあるそうです。
時間が無いので、残念ながらここから眺めるだけでしたが、その豪華さはよぉく判りましたよ。
そして、エッフェル塔。
これも遠くで見ただけ
セーヌ河のほとりのノートルダム寺院。
フランスの美と歴史の象徴です。
ところで、華やかなパリの中心街から遠く離れた移民街・ベルヴィル地区で、シャンソンの女王エディット・ピアフは生まれ育ちました。
この家の玄関の階段で産み落とされたという逸話も残されています。
ピアフの生家であることを刻むプレート。
貧しく薄汚れた姿で街角に立ち、歌の才能を見出され、やがて世界中を魅了する大スターとなったピアフを称える「ピアフ広場」。
等身大の銅像も立っています。
その手に何をつかんだのでしょうね。
広場の周りには、通称ピアフ・カフェと呼ばれるお店が立ち並んでいます。
世界中からピアフ・ファンが訪れ、店に飾られた肖像画や写真を眺めながら特別なひと時を過ごすのだそうです。
このピアフとの出会いが無ければ、日本にシャンソンを歌う本物のスターは誕生しなかったかもしれません。
エディット・ピアフと越路吹雪という二人の偉大な歌手の人性の交差を辿り、パリ編のロケは終了しました。
最終日は、つかの間のプライベート。
領収書の整理がてら、コーディネーターTさんの案内していただき、プランタン本店最上階のティーサロン「アンジェリーナ」へ。
銀座のプランタンが大好きで、店員さんより詳しいくらいの私。いつかパリ本店に行くのが夢だったのですが、叶ってしまいました!
天井のステンドグラスがよく見えるよう、鏡張りのテーブル。
名物のモンブランですが、味は銀座店と同じでした。
みんなが領収書の整理をしている隙に、件のオペラ座まで走ったのですが、中を見学するには入場料がかかるし、大行列だったので、断念しました。
本当に悔しい。すごく悔しくて、帰国してから2回も「オペラ座の怪人」のDVDを見ました
やっぱ、ホントの夢を叶えるには、自力じゃなきゃってことなんでしょうね。
ところで、いたるところで見かけたこの看板。
毛ガニ??
と思いきや、銀行だそうな。
カニではなく、リスのデザインらしいよ。
〜Special Thanks〜
今回パリに取材に行くにあたり、「昭和28年風の衣裳なんて持っていますか?」とリクエストがあったので、スター混声合唱団でご一緒させていただいているタレントの橋本志穂さんに全部お借りしました。
志穂さん、大感謝です
2009.7.18 いよいよ時空ミステリー登場です。
(モンマルトルの丘にて)
「パリに取材に行ってきました!」 と、4月の日記で報告したきりでしたが、ようやく放送日が決定しました!
7月20日(月)
「スーパーモーニング」の中で
9時25分過ぎくらいから放送です。
歴史の闇に迫る人気コーナー「時空ミステリー」で、初めてハンター役を務めました。
今回のミステリーは、
「昭和を生きたシャンソン歌手 越路吹雪」
なぜ越路吹雪が宝塚を退団した後、日本語でシャンソンを歌い、国民的歌手となったのか、その謎に迫りにパリまで飛びました
私がリポーター役と越路吹雪さんの役も兼ねています。
ぜひ見てくださいね。
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