2009.4.29 生まれてきてすいません。
「TV見たよ〜!お誕生日おめでと〜」というメールが相次ぎ、目が覚めました。
なんのこっちゃ?
今朝は私は「スーパーモーニング」の出番ではない。
原因はこれだった!
なんと、日本テレビ「Oha!4」で、バースデーコーナーに私の誕生日を取り上げてくれていたのですっ!!
肩書きは『朝いち430初代MC』、
そして、年齢もしっかり、「40歳」 と・・・。
自分の年齢を「アラフォー」の一言で誤魔かそうとしていた私の作戦は初っ端から崩れ去りました。
でも、嬉しいです
日本テレビの早朝番組は私にとっては古巣。今でもやっぱり愛着を感じています。
今回何の前触れもなかったので、心底驚かされましたが、私なんかを掲載してくれたスタッフに感謝感激です
みんなも早朝番組の勤務は本当に過酷ですが、体に気をつけて頑張ってくださいね。
そして、次に届いたのはこんな「おたおめメール」!
ひえっ!
Dr.コトー&星野彩香!?
こちらは写メ。原画は残念ながらもらえませんでした〜。(大人の事情)
山田貴敏先生!ありがとう
さて、誕生日の今日、私は農水省のイベントMCの仕事のため、出勤。
農業・林業・漁業を体験した100人の仲間と報告会で盛り上がり、イベントは大成功。
「さ、そろそろ帰ろうかな〜」と会場を後にしようとしたら、突然、バースデーケーキと花束が運ばれてきて、みなさんにお祝いをしていただきました。
本当にサプライズだったので、言葉も見つからず、ただ感激して涙がこぼれてしまいました。
しかし、
よく見ると、ロウソクの数が・・・、
5本!?
これは、あえてデタラメな数のロウソクで、年を誤魔化すという私への気遣いと受け取れば良いのかな?
このイベントは、本当に貴重な経験でした。
人生観が変わるほどの体験と仲間たちについては、また後日ゆっくり報告したいと思います。
仕事を終えると、今度は仲良しのピアニスト赤星裕子ちゃんからもケーキのプレゼントをいただきました。
あ、こちらはロウソクの数がリアルに4本・・・。ちぇっ。(いえいえ、どうもありがとう)
そして、覚えていてくれてとても嬉しかったのですが、、実は、この日が私の結婚記念日でもあります。
電撃的に入籍をして周りを驚かせたのは、3年前のことでした。
(一番驚いたのは、生涯独身だろうなとあきらめていた私でしたが・・・。)
夜は、夫婦でレストランに行くと、これまた仲良しのパティシエさんが粋なはからいを!
なんと、チョコレートでメッセージを書いてくれたのです。
一日中たくさんの方たちにお祝いしていただき、最後はこんな素敵なデザートプレートで締めくくりでした。
2009.4.26 布団が吹っ飛んだ!?
今日は強風でしたね〜。
天気も良かったので、ベランダに布団を干して、掃除機をかけました。
ふと振り返ると・・・、あれ?干したはずの布団が無い!?
まさかっ!?
布団が、飛ばされて電線に引っかかってる〜!
これが、リアル「布団が吹っ飛んだ」ってこと?
私の布団を発見した同じマンションの下の階に住んでいるおじさんたちが、下から物干し竿でつついてくれています。
私も、電線に近い高さの階に住んでいる方の部屋にお邪魔して、長ホウキの柄で布団をつついたのですが、敷き布団って結構重いので、びくとも動かないんです。
困った〜。
としばらく悩んでいたら、もう一度強風が吹き、また布団が吹っ飛んで、地上に落ちてくれました。
停電や感電でもしたら大変だと焦ってしまったので、決定的瞬間をカメラに収めるなんて余裕がありませんでしたが、布団が吹っ飛んでる様子はまるで「魔法のじゅうたん」でした〜。
みなさんにもお見せしたかったな
2009.4.12 ミステリーハンター、デビュー!?
少し日本を留守にしていたら、近所の噴水がピンクに染まっていて驚いた。さくらがすっかり散ってしまっていたのですね。
さて、私がドコへ行っていたかというと、
それはこちら!
Paris!
そう、オペラ座の前でストールをまちこ巻きにして佇んでいるのは、
岸 恵子さんではなく、
私です
なにゆえ、外国に行ってまでコスプレを!?
実は、「スーパーモーニング」の人気コーナー『時空ミステリー』のハンター役として、
パリに飛びました
放送日や内容など、詳しいことはまたお知らせいたしまぁす!
(ノートルダム寺院をバックにセーヌ川のほとりにて)
2009.4.1 さくら咲く・さくら散る
我が家の最後の猫、『さくら』がとうとう亡くなりました。
20歳の大往生です。
これで原元家の20年以上にも及ぶ猫の歴史が終わりました。
さくらはずうっと人間を困らせたことの無い猫でした。
時に噛まれて指が腫れ上がったことはありましたが(汗)、それくらいしか手のかからない子でした。
しかし、今年に入った頃から、足腰が弱くなり、3月に入って、目が見えなくなりました。
トイレが探せなくなり、廊下におしっこやうんちをしてしまうようになりました。
これまで長年5匹の猫と暮らしてその最期を1匹ずつ見送ってきた私たち家族は、家なんかいくら汚れても、生きていてくれればそれで良いと、さくらと一日でも長く過ごせることだけを祈っていました。
でも、もう長くないことはみんなが感じていました。さくら自身も。
「その日」はいつ来るのだろう。
もし、誰も看取る人間がいなかったらさびしい思いをさせてしまう。それだけは嫌だ、と毎日仕事に向かう時に不安な気持ちに襲われていました。
そして、最期は自分でその時を決めたようです。
桜の花が咲き始め、暖かな日差しが心地よいこの日、私と父は珍しく二人揃って仕事が休みでした。
時間の許す限り、二人で代わる代わる抱っこをし、最後は父のベッドで腕枕をされながら、静かに、本当に静かに息を引き取りました。
(顔の形が合掌造り?) まるで、自分が去った後も遺された人間が後悔に苦しまないような、穏やかな最期を迎えました。
さくら、
母ちゃんが亡くなって、私が結婚して家を出た時、ひとりぼっちになった父ちゃんをお前が慰めてくれたね。
お前がいなかったら私は父ちゃんを残して結婚なんてできなかったよ。
ありがとう。
私たちに最後までずっと幸せを与えてくれて本当にありがとう。
私たちは悲しみにくれるというより、ただただ「ありがとう」という言葉を繰り返すだけでした。
そして、さくらが旅立った日の夜は、春の嵐となりました。
雷鳴轟き、暴雨と強風に桜の樹々も揺れていました。
ああ、さくらはほんとに散ったんだな、と今頃涙が溢れて止まりませんでした。
*