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2001.11.30

昨日に続いてパートナーは高橋アナ

約30センチの身長差を埋めるべく、今日はお立ち台(小柄な「Uアナ」専用台らしい)が用意されていました。感謝!

しかし、本番直後。

「昨日今日とありがとうございました。」と横にいる高橋アナに向き直った瞬間、

きゃあっ!!

ガターン!!

台に乗っていたたことをすっかり忘れていた為、後ろのセットにひっくり返ってしまいました!(あの虹が描いてあるヤツです)

ああ、今週は災難多し・・・。

さて、仕事が終わり、やっと歯医者に行くことができました。やはり前歯のセラミックは作り直しだそうです・・・。すげえ出費になりやした。 とほほ。

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1958年 女性にハム無線流行】 43年前、この頃、アマチュア無線が女性達の間でちょっとしたブームだったそうです。「ハム女子大学入学式」つまりアマチュア無線の講習会の入学式もありました。若い女性ばかり集まって、電気工学の講義を受けたりするんです。

自宅でアマチュア無線を楽しむ女性たち。当時、無線機は大変高価だったため、手作りをする人も少なくなかったとか!ミシンのような大きな機械で、足踏みペダルを下げると送信、上げると受信だそうです。コミュニケーションの方法は変わっても、今も昔も若い女性は「おしゃべり好き」ということでしょうか。

原元 「自分の発信した電波を、広い世界の中の誰かがキャッチしてくれるなんてところに、ロマンを感じていたのですかねえ。」

高橋アナ「今で言えば、携帯電話とか、インターネットのチャットEメールのような感覚で楽しんでいたんでしょうね。

原元 「また50年後の未来には、どんな通信手段が現われているか、楽しみですね。」

高橋アナ「テレパシーとか!? 


2001.11.29

日本テレビの新人さんたちの人事研修の為、私のパートナー森圭介アナが番組をお休み。ピンチヒッターに3年目の高橋アナが来てくれました。

しかし・・・、180センチの高橋アナ。私と並ぶと同じ画面に入りきらないっ!?なんたって身長差29センチだもんね〜。

気象キャスターの高塚さんも長身なので、真中の私だけ、かなり「陥没」してました。捕まった宇宙人のようだったとか・・・(涙)

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1988年11月29日 ふるさと創生1億円決定】13年前のきょう、時の総理、竹下さんがポンと決めたのが悪名高い(?)「ふるさと創生」地方主導のふるさと作りをしてもらおうと、全国の3200あまりの自治体に1億円を交付することにしたのです。

その使いみちを巡って、日本全国で1億円狂想曲が始まりました。金塊を買ったり、こけしを作ってみたり、成すすべなくそのまんま1億円を飾っちゃったり・・・。

一方、UFOがよく目撃されるスポットとして知られる石川県羽咋市では、「とりあえずUFOということで」とUFOで町おこし!UFOケーキにUFOラーメン、UFO焼きそばに、お好み焼き、なんていう便乗商法まで飛び出し、1996年には、宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」(総工費53億円!)がオープンしました。

高橋アナ「金のこけしは換金されて人材育成資金になったということです。

原元 「またお金に戻ったということですね。実は、私あのUFO博物館へ行って、UFOラーメン食べてきました!タコさんウィンナーが乗っていて、『火星人』卵にタコの足を巻きつけて『土星』と洒落てました。ま、あの1億円で夢を買ったということなんでしょうかねえ。


2001.11.28

それは、本番5分前のことでした。

「ガチーン!!」「痛ーい!!」

急いでトイレから戻ろうとした私、ふり返った瞬間、なんと左顔面をコンクリの壁に激突してしまったのです。あまりの衝撃に気絶しそうでしたが、代わりがいないので、とにかく報道フロアへ戻らなければ・・・。

たくさんのライトに照らされ、ズキンズキンと痛み出す顔。途中鏡を見ると、なんと左まぶたからが出ているではないかっ!!ファンデーションを塗ってなんとかゴマかしたはいいものの、腫れてきたらどうしようと思うと、気が気じゃありませんでした。

しかし、本当に青ざめたのはその後であった・・・!

本番がなんとか無事終わり、歯を磨いていたら、

ぽろっ。

へ!?

ぎゃー!!前歯の差し歯が割れた−−−っ!!

左前歯の自慢の(?)セラミックが、ぶつかった時に下の歯に押され、なんと割れてしまったのだ。ただし、裏側・・・、ほっ。

ああ、しかし明日の本番中にポロリと抜けてしまったらどうしよ・・・。

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1980年代 税関の記念日】21年前のきょう、「税関の記念日」・・・表彰されたのは、国内初の麻薬探知犬「ユーコン号」でした。成田空港が開港した翌年の1979年。麻薬の密輸急増に対抗する切り札としてやってきました。本の税関職員との地道な訓練は、何か月にも渡って行われ、そして1年後・・・、ユーコン号はスーツケースに隠された大麻4キロ(末端価格2000万円)を発見したのです!この活躍をきっかけに麻薬探知犬への認知度が高まり、今では全国で約100頭が活躍しています。

森アナ 「麻薬探知犬は、麻薬の臭いを嗅ぐと、『税関職員と遊べる』と思うように訓練されているんです。

原元 「では、麻薬探知犬が麻薬を探すのは、遊びたいからなんですね。でも、麻薬中毒の心配はないんですか?

森アナ 「例えば、お酒の匂いを嗅いだだけでは、実際には酔っぱらわないように、麻薬も臭いを嗅ぐだけなら、大丈夫なんだそうです。」


2001.11.27

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1958年11月27日 皇太子&美智子さま婚約】43年前のきょう、宇佐美宮内庁長官から「皇太子明仁親王殿下は正田英三郎氏長女美智子嬢と婚約される事に決定いたしました」発表がありました。

軽井沢のテニスコートで出会ったお二人。美智子さまは、民間から初めて皇室に入られることになりました。ご婚約の発表で町はお祝いムードに染まりました。「とても誠実で、ご立派で心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げていかれる方だというところに魅力を感じました」と言われた記者会見の時の美智子さまのファッションがあこがれの的となり、「美智子さまご愛用」のお洋服、カチューシャ、ビーズのハンドバッグなどが街にあふれました。

そして迎えた翌年4月。当時の総理、岸信介らが見守る中、結婚式は古式ゆかしく行われました。ご成婚パレードを一目見ようと沿道には53万人の人が繰り出し、潜望鏡のような仕組みの「ご成婚メガネ」というアイデア商品まで登場しました。この模様はテレビ中継され、1500万人が見たということです。

原元  「当時の美智子様ブームは、大変なものだったそうで、私の母もカチューシャをつけてテニスをしたそうですよ。

阿部アナ「ところで、このパレードを見るためにテレビを買ったお宅も多かったようですね。

原元  「白黒テレビの普及のきっかけとなった出来事としても知られていますよね。

※国産カラーテレビの発売は翌年の1960年7月のため、ほとんどの人は当時は白黒テレビで見た(受信)のですが、今回番組では貴重なカラー映像で放送(送信)しました。


2001.11.26

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1969年11月26日 月の石公開】1969年7月。38万キロ彼方の月に人類は初めてたどり着きました。アポロ11号、月面着陸。アームストロング船長の、「この一歩は小さいが人類にとっては偉大な躍進だ」という言葉はあまりにも有名です。

そして32年前のきょう・・・ガラスケースの中に展示された「月の石」実は数日前に、昭和天皇と香淳皇后もご覧になっていました。人類初の月面着陸から4か月だっただけに、この小さな石に宇宙のロマンを感じる人も多かったようです。

阿部アナアポロ11号の月面着陸は全世界にテレビ中継され、日本では、最高視聴率が90パーセントを超えました。

原元  「うらやましいですね〜!ところで、『月の石』の成分は、地球の火山岩の『玄ブ岩』とほとんど同じだそうです。でもこのこの「月の石」が翌年1970年の大阪万博で、アメリカ館に展示されると、大人気で、一目見るために、3,4時間も並んだそうです。懐かしいな〜、なんて方も多いのではないのでしょうか?

*その熱狂を受けて、月の石の粉末1グラムに公開当時、2億円以上の値段がつけられたそうです。


2001.11.23

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1995年11月23日 Windows95発売】きょうは6年前の「あの」大騒ぎの様子です。日本最大の電器店街、東京・秋葉原真夜中に凄い行列です。午前零時・・・「ウインドウズ95」の発売開始です。秋葉原は大変なお祭り騒ぎ。この興奮、一夜明けてもおさまらず、東京駅ではキオスクが特設会場を設けて販売。コンビニでも!そして郵便局でも!ついには、パチンコ店の景品に!

原元 「あまりの熱狂ぶりに、パソコンを持っていないのに、つられて買ってしまう人もいたそうですよ。(笑)森さんは買いました?

森アナ僕はマック派ですからね!」

原元 「・・・(うわーっ、その言い方がやっぱね・・・)。」

森アナ「先週の金曜日(16日)には新バージョン『ウインドウズXP』発売になりましたけど、すでに買われた方も多いんじゃないでしょうか。

原元 「発売日の深夜に行列ができるというのも、すっかり恒例になりましたね〜。


2001.11.22

今日はとくに「EXCUSE・み〜すっ!」(発音が似てると・・・)

「狂牛病感染の疑いのある牛が・・・」というニュースを読もうとした時のことでした。口が一瞬回らず、

「きょ、きょ」

「巨乳病感染の・・・」

とやってしまいました・・・、ゴメンなさい。何食わぬ顔ですぐ言い直しましたが、問題が深刻なだけに内心ドキドキでした。

だからって「巨乳病」とは・・・。泣くに泣けないこの胸のうち。(えっ、どういう意味かって?)

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1990年11月22日 サッチャー辞任表明】11年前のきょう、「鉄の女」がイギリスの首相官邸を去りました。首相就任から実に11年半の月日がたっていました。マーガレット・サッチャー。先進国初の女性首相でした。当時、イギリスは深刻な不況でした。サッチャー首相は後に「サッチャリズム」と呼ばれる大胆な改革を断行します。フォークランド紛争では「兵士の命よりも自由」と発言。「鉄の女」を世界に印象づけました。

11年半の思い出を胸にここを去る日が来ました」マーガレット・サッチャー、この時65歳。そして、長年苦楽をともにしたスタッフにはこう言ってお別れしたそうです。「人生は65歳から始まるのよ」

原元 「サッチャーさんの任期(人気)、11年半。長いですよねー。

森アナサッチャーさんは、労働組合の改革や、国営企業の民営化などで、イギリスの産業を蘇らせましたが、ところで、この間、日本の総理はというと、大平さん以降、海部さんまで、総理大臣が6人も変わっています。

原元 「こうしてみると、どれだけ国民のサッチャーさんに対する支持が高かったのかが、良く分かりますよね。最後のお別れの言葉、『人生は65歳から始まるのよ』・・・気丈というか、やはり、意志の強い女性だったんだなぁという気がしましたね。最後まで見事な女性でした。」


2001.11.21

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1950年11月21日 初の日本シリーズ開幕】51年前のきょう終戦から5年目・・・プロ野球初の日本シリーズが神宮球場で行われました。始球式には3人の大物ゲストが呼ばれていました。ジョー・ディマジオ未だ破られない56試合連続安打記録を持つヤンキースのスーパースター。マリリンモンローと結婚していたことでも知られていますよね。レフティ・オドール、歴代2位の年間254安打を放った伝説の大リーガー。巨人軍の名前、ジャイアンツの名付け親でもあります。そして、ウィリアム・マーカット。野球好きで知られたGHQ経済科学局長。財閥解体など日本経済の民主化に貢献した人物です。この三人が自ら始球式をつとめたのです。第一回の対戦は千葉ロッテマリーンズの前身毎日オリオンズ、対、横浜ベイスターズの前身松竹ロビンスでした。

森アナ今年の日本シリーズは、ヤクルトスワローズが優勝しましたがちなみにこの数字、なんだか分かりますか?」

               ⇒モニター画面の中に、「23」と「242」の数字

原元 なんですか?(まじで・・・)」

森アナイチロー選手(今年の記録)です。(23試合連続安打!年間242安打!)

原元 こうして比べてみると、イチロー選手もすごいですけど、こんな凄い選手が始球式に駆けつけてくれたのですね。

*丁度この日マリナーズのルーキー・ICHIROが、ア・リーグの年間最優秀選手MVPを受賞というニュース速報が入ってきました。


2001.11.20

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1992年11月20日 ウィンザー城火災】9年前のきょう、エリザベス女王がよく週末を過ごすウィンザー城が大規模な火災に見舞われました。火は30時間も燃え続け、翌日の朝ようやく消し止められました。現場周辺に運び出された美術品の数々。900年の歴史をもつウィンザー城には王室の莫大な文化財が保管されていたのです。レンブラントルーベンスの絵画は幸い運び出すことができましたが、城の修復費用など被害総額は100億円にも上りました。

しかし女王に「散々な年」と言わしめたのは、それだけではありませんでした。アンドリュー王子はこの年、セーラ妃と別居を始め、そしてチャールズ皇太子とダイアナ妃もその不仲がセンセーショナルに報道され、女王にとっては、まさに泣きっ面に蜂といったウィンザー城の火災でした。

杉上アナ実はこの火事を期に、王室の維持に国民の税金を使うのではなく、以前から議論されていた王室への課税を求める声が大きくなっていったんです。」

原元 そのこともあって、このウィンザー城の修復費用捻出のために、翌年からバッキンガム宮殿が有料で一般公開されました。

※ウィンザー城の修復完成は5年後の1997年11月。一般公開はその翌月からです。


2001.11.19

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1993〜94年タイ米騒動】きょうは8年前の「あの」騒動です。冷夏の影響でコメが戦後最悪の不作を記録。政府は、緊急輸入を決断したのです。馴染みのない外国産のコメを、当時の畑農水大臣もPR。あるお店ではタイ米1キロ=1$セールなんてのも始めましたが、売れ行きは今ひとつでした。

杉上アナ外国産のコメの中でも特にタイ米は売れ残ってしまい、結局、酒やミソなどに加工されたということです。

 原元 「杉上さんは、タイ米食べました?」

杉上アナ「はい。チャーハンやカレーにして食べたら美味しかったです。」

 原元 「そうなんですね。タイ料理にタイ米を使うととってもおいしいですよね。あの時タイ米を余らせてしまったのは、決してまずかったからではなく、無理に日本の食文化に合わせようとしたのが一番の理由でしたね。


2001.11.16

「次は、秋の味覚と香りの話題を二つお届けします。(うふっ)」

なんて、ニュースとニュースの間に入れるコメントは、その瞬間に流れを感じてアドリブで入れたりする。

そこで、今日の「EXCUSE・み〜すっ!」ですっ。

本番中、ニュースを読んでいたときのことである。

(あ〜、そうだ、次の原稿は時間が無くて下読みが出来ないままだったんだなぁ〜)なんて思いながら、チラリと原稿をめくると、・・・「冬」、「冬鳥」という単語が並んでいる。

(そういえば、いつも次のコーナーは「季節ネタ」だったっけ、OK!)と勝手に納得。そして気を利かせたつもりが・・・!

原元 「では、次は季節の話題です。が近づくと、冬鳥たちが姿を見せ始めますが、・・・」

(ん?「が」って何よ?『が』って!?)

プロデューサーもギョッとして思わずふり返る。不安気に続けて読む私。

原元 「が・・・、つ、翼が折れ、飛べないカモが保護されました!?。」(泣)

(うええっ!!全然『季節ネタ』じゃないじゃーん!!)

と気づいたがもう遅い・・・、スタッフは一斉にずっこけていました・・・。ごめん。

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1969年11月16日 佐藤訪米を阻止せよ】32年前のきょう、厳重な警備の中、佐藤栄作総理がアメリカへと旅立ちました。当時日本では沖縄返還の条件日米安保条約をめぐる議論が盛んに行われていました。そして、政府の姿勢に不満をもつ学生らが実力行使に出たのです。銀座では火の手が上がり、地下鉄は一時ストップ。火炎瓶を手にした学生らが「佐藤訪米阻止」を叫び、機動隊と激しく衝突。

佐藤総理の訪米前日の羽田空港に近い蒲田駅この日、400人を越す学生らが集結し、機動隊と激しく衝突しました。駅周辺には火炎瓶ガス弾の煙などが立ち込めました。 こうした抗議行動は全国各地で展開され、この日だけで逮捕者は1800人以上にも上りました。1日の逮捕者数としては、当時、過去最多でした。

森アナ「この年の1月には東京大学の安田講堂に機動隊が突入し、学生運動が過激化する中での訪米だったのです。」

原元 「この時の佐藤・ニクソンの首脳会談では、戦後処理の最も大きな問題とされた「沖縄返還」について『核抜き・本土並み・72年返還』などの条件に合意がなされました。」

70年以降、こうした過激な実力闘争も、極一部の先鋭化した集団だけのものとなり、社会からかけ離れた存在になっていきました。


2001.11.15

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1955年11月15日 自民党誕生 55年体制発足】46年前のきょう、自由民主党が結成されました。世にいう、「55年体制」の発足です。「立派な政党ができますように切に、ここにいる諸君の同意を得たいと思います」時の総理大臣は、鳩山一郎(今の民主党代表、鳩山由紀夫氏のおじいさん)。これで当時の「日本民主党」「自由党」が一緒になり、「保守合同」が実現したのです。背景にはこの1か月ほど前に、分裂していた対抗勢力の社会党が統一されたことがありました。

この翌年、「もはや戦後ではない」というフレーズが経済白書に登場。日本は、「戦後」の時代から「高度経済成長」の時代へと転換期を迎えていました。自民党対社会党というこの55年体制は、このあと38年に渡って続きました。

森アナこの55年体制おさらいしますと、まず、社会党右派と社会党左派が統一。その動きに対抗するために、保守政党の自由党と民主党が統合したんです。そして、与党の自民党対野党の社会党という図式が出来たんですね。これが、いわゆる「55年体制」です。」 

原元 激しい対立を続けた両党も、94年には村山政権が誕生するなど、連立して政権を握ったこともありましたよね。

*55年体制に終止符を打ったのは、1993年の細川政権の発足。


2001.11.14

番組開始直前の会話・・・。

原元 「森君、日本酒好き?

森アナはい!僕は結構飲みますよぉ。

原元 「じゃあさ、今日の『朝いち天気コーナー』での掛け合いは、『球磨焼酎(くまじょうちゅう)』でよろしくね。」

森アナえっ?『くま』って・・・、もしかして、『熊』!?

をいをい、球磨地方(九州)の酒だよ!ほんとに酒好きなんか?

そして本番。CM中のディレクターの指示ににやりとする私。

「原元さん、エンディング15秒ほど時間ありますので、何か話して下さい。」

原元 「さて、今日は『球磨焼酎』の仕込みが真っ最中だという話題をお届けしましたが、森さんは、『球磨焼酎』のことを動物の『熊』のエキスから作るお酒だと思ってたみたいですよ。」

中嶋さん「(チラっと見て)はずかし〜。」

森アナ 「・・・(反省中)。」

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1950年代の面白いスポーツ】きょうは1950年代のちょっと変わったスポーツを集めてみました。 

【ベッドレース】妻がベッドに乗り、夫が押すというこのレース。出不精の妻を表に連れ出すためなのかはたまた、夫のトレーニングなのかは分かりません。途中トイレ休憩も挟みながら、34キロもの距離を競い合ったそうです。妻は上機嫌、夫は翌日筋肉痛間違いなしのレースでした。

【ビリヤード台の新利用法】鼻息サッカー!?ルールは簡単、卵を吹いてゴールに入れるだけです。試合に夢中になってつい力が入り過ぎ、入れ歯が外れる人や弾んだ卵が口にスッポリはまってしまう人も続出でした!(飲み会でやったら盛り上がりそう)

原元 「くだらないのに、審判までちゃんといましたねえ。」

森アナ「原元さんは今の三つのスポーツ、どれをやってみたいですか?

原元 ベッドレースはイヤえすねぇ。なんで奥様たちはみんなぜセクシーな格好なんだろ?

アナ「50年代と違って、21世紀はもう男女平等が進んでますから、男性が乗ったベッドを女性が押すというのもいいんじゃないですか?

原元 「そうですね。森さん、力無さそうだし・・・。

森アナ 「うっ・・・(後悔中)。」


2001.11.13

深夜11時半に携帯電話が鳴る!

はっ!この時間に掛かってくるといったら、緊急事態・・・!?慌てて取ると、

「飛行機がNYで墜落したぞ!」

うひゃ!!特番かっ!?即効テレビを点けると、井田由美アナ「NYで旅客機墜落」の特番をやっている。

「じゃあ今日の番組はナシですか?」

「テロか事故かはまだ判らないし、何時まで特番を続けるかもまだ判らないので、連絡するまで自宅待機してくれ。」

むむむ。では、しばらくベッドで待機とするか。

いつもは1時30分に家を出るので今日はもう無いかな〜なんて思っていると、2時になって再び電話が鳴る!

「あ、原元?やっぱり番組有るから、来て!」

あ、ホントに?即効飛び出していく。

2時半に局に着くと、報道部は騒然としてて、特番が続いている。

「今日の『ニュース朝いち430』は、このまま特番体制で行くから。」

まじ?このまま私でていいんですか?

ほとんど下読みなどできないままキャスター席に座る。(うわっ、座ってニュース読むなんて久しぶりだっ)

そして4時30分、通常の番組内容を変更して番組がスタート。突っ込みの原稿が次々と渡され、NYの事故現場やワシントン、総理官邸などから続々と中継が入る。

また、航空評論家の青木謙知さんをお迎えして解説をお聞きする。「テロなのか事故なのか?」「原因究明まで果たしてどのくらいの時間が掛かるのか?」「なぜこんな大火災となったのか?」など。

番組も無事終わり、「ああ、私って本当に『報道』になったんだ」、などと感慨に耽りながら家に帰りました。


2001.11.12

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1950年代の七五三&1970年代ファッション】きょう11月12日は実は「洋服の記念日」なんです。そこでこんな映像を“蔵出し”です。この時期といえば、七五三ですね。今から50年前七五三ファッションは、やっぱり振りそでが主流なんですね。でも、ワカメちゃんカットが懐かし〜。

さて、この子たちが大人になるのが、1970年代。「アンノン族」なんて言葉が生まれた時代です。「ジーンズスタイル」、「へそ出しルック」!そして、忘れちゃいけない「厚底サンダル」。そしてブーツも大流行!みーんな「ブーツ」です。この時代、ブーツの幅を広げる機械も登場しました!こうして見てみると、70年代の町の流行は今再び巡ってきたようですが、最大の違いは、茶髪の人がいない」ということでしょうか。

阿部アナ原元さんの学生時代の頃はどんなファッションでしたか?

原元 「めちゃくちゃバブル(バブリー)でしたから、ソバージュヘアーにボディコン着てました。今見られたら人格を疑われます。ところで、これは阿部さんの七五三の写真ですか!さすがにワカメちゃんカットではないですよね。かわい〜。

阿部アナええ、だって80年代ですもの。

原元 「・・・(とほほ)。」


2001.11.9

今日こそ、森アナ強化っ!!

原元 「この柑橘類(果物)の王様『バンペイユ』は、大人の頭くらいの大きさなんですって!森さんの頭くらいかな〜?

森アナ!?」

原元 「重さは2kgほどで、向こうは中身が詰まってそうですけど・・・」

森アナ 「あはっ・・・。」

固まってる・・・。強化どころか、弱ってる??

またアナウンス部に帰って先輩から「あのリアクションはぬわっちゃな〜い!」って言われちゃうね。(笑)

ちなみにみんな、いぢめてるんじゃなくてよっ!森君!ワキアイアイの「愛」だってば!でもやっぱ「哀」かな〜?(苦笑)

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1974年11月9日 東京湾で巨大タンカー炎上】 27年前のきょう横浜沖・・・、石油などを満載した大型タンカーが貨物船と衝突し、爆発を起こした。「第10雄洋丸(ゆうようまる)」戦艦大和の大きさに匹敵する巨大タンカーだった。消防艇や巡視艇など30隻あまりが消火・救助活動にあたったが、火は勢いを増すばかり。乗組員ら33人が死亡した。事故発生から5日、漂流を続け炎を吹き出しながら千葉の海岸に近づく雄洋丸を、海上保安庁は東京湾の外へえい航することを決定。

そして、前代未聞の作戦が開始された。

昭和49年11月28日それは千葉県沖530キロの海上で始まった。自衛隊の護衛艦4隻による5インチ対空砲。さらに哨戒機からのロケット弾投下。そして、潜水艦による魚雷攻撃。この8時間後、ようやく第10雄洋丸は海に消えた。作戦にかかった費用は、砲弾や魚雷だけで7000万円。事故処理に巨額の費用と時間がつぎ込まれたことは当時、多くの論議を呼んだ。

原元 もの凄い映像でしたね。あの東京湾でまるで映画のワンシーンと見間違えるほどでしたね。しかし作戦が決行されるのに20日かかったんですよね。この間に様々な論議があったようですね。」

森アナ 「結局、自衛隊がタンカーを撃沈するこになった。これを機に海上保安庁に特殊救難隊が設置されました。危険物火災の消化や乗組員の救助など、幅広く海の安全を守る活動をしているんです。」

*翌年、「東京湾炎上」という、東京湾で石油タンカーがテロに乗っ取られ、炎上するという映画が公開され話題になりました。主演は丹波哲郎氏、テロリスト役は水谷豊さんです。そして、この映画で取られた作戦は、まさに「えぇっ!」と驚くモノでした!(もちろん自衛隊は登場しません)。


2001.11.8

今日の森アナ強化計画。

 原元 「日ごと寒くなってきましたが、森さんっこの時期お風呂に入れるものは?

森アナ 「それは・・・、ゆず!」(満面の笑顔)

 原元 「ハ・・・。」(違う意味で笑顔)

をいをい、今回は勢いボケかいな!それなら、「バスクリ〜ン」とかって言えたらね〜。(実際には商品名もNGです!)

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1956年11月8日 「宗谷」南極観測へ出発】45年前のきょう、日本初の南極観測船「宗谷」が南極に向かいました。観測隊員77人と、ソリを引くための樺太犬も乗っていました。船出から2か月半・・・、人跡未踏のプリンス・ハラルド海岸に日の丸が上がりました。ここが、現在の「昭和基地」です。観測小屋で、隊員が越冬観測に入りました。翌年、第2次隊が基地に向かいますが、厚い氷に阻まれ近づけません。結局この年の観測を断念し、現地に残っていた11名とともに帰国することになりました。 

しかし15頭の犬は、鎖につないだまま残されることになりました。1959年1月、第3次南極観測隊が基地に到着。すると、生きていたのです!「タロ」と「ジロ」だけが自ら首輪をはずし、アザラシやペンギンなどを食べて、生き長らえたのです。このニュースは世界の人々に感動を与えました。(詳しくは、映画『南極物語』をご覧下さい。)

森アナ 「観測隊員たちは当初、一ヶ月の間に、交替の越冬隊が来る事を信じ、犬に一ヶ月分の食料を与えて基地に置き去りにしたんですね。でも、悪天候のために結局一年間、基地を空ける事になったそうです。

原元 「出発前のかわいらしい姿が、一年後にはクマのようになっていて、厳しい環境で生き抜いてたんだなということを感じさせられました。

森アナ 「『タロ』と『ジロ』は死後、剥製にされ博物館にその勇姿を残すことになりました。

※「宗谷」は現在、東京・品川の「船の科学館」に係留され、永久保存されています。


2001.11.7

番組も一ヶ月が過ぎ、新人アナウンサーさん達もぼちぼちキャラが出始める頃である。

ということで、今週は森圭介アナ強化週間!面白い受け答えができるように私は質問をフリまくる。さあ、今日はどうであろうか!?

原元 「今日は立冬です。さて、森さんっ、日本海の冬の味覚といえば!?

森アナ「カニ〜っ!」(もちろん手はあのポーズ)

原元 「さぶっ・・・。」まんまやんっ!!(涙)

中嶋さん 「・・・・・・・(凍結)。」(ちなみにミネちゃんはかなり笑いに厳しいねっ。)

さっ、気を取り直してつぎ行ってみよ〜う。

原元 「(金魚に似てる)『キンギョ草』は、花びらの形がにも似ていることから、その花言葉は『おしゃべり・でしゃばり・不作法』だそうですよ。森さ〜ん?

森アナ「ぼっ・・・、僕には全く関係がない花ですね。

原元 「・・・。」う〜む、ナニそれっ??(号泣) 

せめてこう言ってくれたら合格だったかもね〜、森君。 

『はい!金魚のフンのように、どこまでも付いて行きますっ原元さ〜ん!!』(嬉し涙)

*

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1936年11月7日 国会議事堂落成式】65年前のきょう帝国議会議事堂、現在の国会議事堂の落成式が行われました。設計から資材にいたるまで可能な限り国産でまかなわれ、工事に関わった人の数はのべ254万人、総工費2600万円、今に換算すると1000億円以上という国を挙げての建設でした。中央広間の天井の高さは約32メートル。奈良・法隆寺の五重塔がすっぽり入る広さです。

また、この広間には三人の銅像が立てられています。(伊藤博文、板垣退助、大隈重信)。それぞれ日本の議事政治の発展に貢献した人物です。そして、もう一つの隅。そこだけは空いたままになっています。これは、「四隅が全て埋まってしまって国の成長が終わらないように」との願いを込めて、空けられたままになっているのだそうです。

森アナ 「(歩きながら・・・)こうして赤い絨毯の上を歩いていると私も国会議員になった気分になりますね〜。」

原元  「森さん、浮いてますよ。(笑)」

森アナ 「VTR中にあったあの空けられた台座の一つなんですが、他にもどんな意味があるか解りますか?」

原元  「他の3人の方は名がある方ばっかりでしたよね。」

森アナ 「実は、国会議員の方々に『いつか自分こそがあそこに立つんだ』という、目標にさせる意味もあるんだそうです。」

原元  「先生方々には、是非、がんばってもらいたいですね。」

実は私、名古屋CBCアナ時代の「ミックスパイください」という番組で、94年に国会議事堂を取材したことがあります。議場の脇には電話BOXならぬ酸素BOX(!)があるんですよ。その昔、議論が紛糾すると興奮して酸欠になる高齢の議員さんが多かったそうで、入り口脇に酸素ボンベが設置されているのです。

また、某大物政治家N氏が育毛剤をボトルキープしているという噂の国会理髪店を取材中、当時の村山富市総理が散髪にいらっしゃるというハプニングもありました。ケープをかけ、髪を切ってもらっている総理の後ろで見学することを許されましたが、SPの警護が厳しいため、一言お声を掛けるのがやっとでした。え?ナニを話したのかって?それは、

「あの〜眉毛は切らないんですか?」

「・・・」

「うむ、これは自然のものじゃきに。」


2001.11.6

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1969年11月6日 筑波研究学園都市起工式】32年前、東京から車でおよそ2時間の広大な山林を舞台に、巨大プロジェクトが持ち上がりました。「筑波研究学園都市」。建設目的は、科学技術の振興と教育や研究の充実そして東京の一極集中を緩和させることでした。総面積およそ2万8000ヘクタール東京23区のおよそ半分。こんな未来都市を10年で作る計画だったんです。

1985年には「科学万博」が開かれ大盛況でした。現在、筑波には国の研究機関の4分の1が集まっています。故・朝永振一郎氏、江崎玲於奈氏、白川英樹氏と三人も筑波大関係者がノーベル賞を受賞しています。今や、名実ともに日本の科学をリードする都市となりました。

杉上アナ筑波学園都市というと『つくば博』を皆さん連想されると思いますが、その当時21世紀に届くようにとポストカプセル郵便が約328万通もあったのですが、転居先不明などで約24万通が戻ってきたということなんです。

原元 「まあ、当時万博に行くような若い人たちが、15年経っても同じ住所に住んでいるとは予想しなかったのでしょうね。」

杉上アナ「時の流れを感じますね。」

*ちなみに、日本人のノーベル賞受賞者は、今年化学賞に選ばれた野依良治氏(のよりりょうじ)名古屋大学教授で10人目になります。

*ちなみに歴代のノーベル賞受賞者は、1949年物理学賞 湯川秀樹氏、1965年物理学賞 朝永振一郎氏、1968年文学賞 川端康成1973年物理学賞 江崎玲於奈氏、1974年平和賞 佐藤栄作氏、1981年化学賞 福井謙一氏、1987年医学・物理学賞 利根川進氏、1994年文学賞 大江健三郎氏、2000年化学賞 白川秀樹氏のみなさんです。


2001.11.5

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1972年11月5日 パンダ一般公開】29年前のきょう、東京上野動物園・・・「パンダが日本にやってきた!」日中国交回復を祝って贈られたパンダ。ランランカンカンです。式典にはパンダ好きのあの人も・・・パンダ大使(!)の黒柳徹子さんです。日本中がパンダフィーバー。銀座のとあるデパートではパンダのぬいぐるみが2分に1個売れ、上野動物園は開園前から長蛇の列。2時間並んでも見られるのは1分足らずだったそうです。

原元  「このフィーバーは何年も続いたんですよ。私も小学校の遠足で行きましたけど、ほんの一瞬しか見えなかったんで、次の日想像で絵を書いて、パンダの尻尾を間違えて白く塗ってしまった思い出が有ります・・・。」

杉上アナ 「私なんて、まだ見たこと無いんですよ。でも、このジャイアントパンダ、今月12日(月)から上野動物園では見られなくなってしまうんです。というのも、現在、唯一飼育されているオスの『リンリン』が来年3月末までお見合いのためにメキシコの動物園へ出かけちゃうので、しばらくお預けなんです。」

ごめん。実は、「EXCUSE・み〜すっ!」です、これ。

私、本番でパンダの尻尾を「白く塗った」と言ってしまいましたが、逆です。本当は「黒く塗った」です。パンダの尻尾はが正解です・・・。ちゃんと言ったつもりだったのでBBSで指摘されて、初めて気がつきました。ありがとね。

でも、みなさん、ひょっとして「EXCUSE・み〜すっ!」探し、してますぅ?


2001.11.4

番組始まって一ヶ月が経つけれど、私の生活は本当に一変したね。夜7時半にはベッドに入り、深夜1時に起きて、タクシーで局へ向かう。

そんなこんなで今、人生の中で一番大事なのは「ねるっ!」てコトになった。マジで「睡眠・ぐぅ〜倶楽部」に入りた〜いっ!

合唱団のお仲間のテレビ朝日・大下容子アナも言ってたけど、早朝の番組をやると、寝ることしか頭に無くなるのだ!

時計を見ては、「ああ、後○時間寝られる」、「□時間寝るためには、△時には家に帰らないと・・・」、あぁブラックホールに吸い込まれる〜

私の生活の中心は睡眠だ。いや、宇宙の中心だと言ってもいいっ!

私は、充実した睡眠ライフを手に入れるため、とうとう壱万円もする枕を買ってしまった。

首の角度を測って、その人にあった枕の高さを選んでくれる健康番組でお馴染みのアレだ。(高過ぎると二重アゴの元になるらしい!)

だまされたと思って使ってみると、目覚めてビックリ〜!

この寝相の悪い私が、ベッドに入ったときと同じポーズをしたまま起きたではないかっ!?恐るべし、枕パワー!!

さて、局でもちっと時間が空くと、むさぼるように寝てしまう私・・・。NNN24.5.jpg (16650 バイト) 

最初は遠慮がちに持参したブランケットなんぞを膝にかけていたが、

「ほんと、こんなに騒がしいところでよく寝られるね〜」と感心され、そのうち、スタッフが枕と掛け布団を調達してきてくれた。すっかりソファを占領し、どんなニュースが飛び込んできて、周りが大騒ぎをしても、全く起きない!(もちろん私の出番以外ね。)

おかげで私の寝顔を知らないスタッフはいないかも・・・。いやぁん。

**おまけ**(寝言は寝て言えっ!の巻)

前に、「掛け布団をクリーニングに出しておいて下さいな。」とお願いしたら、さすがに笑われた。


2001.11.2

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1973年11月2日オイルショックで買いだめ】28年前のきょう、ネオンの消えた銀座の電光掲示板には「石油を大切に使いましょう」のメッセージ。「(中曽根通産相会見)中東紛争の結果、石油削減の見通しが出てきました・・・。」オイルショックは、まず高度経済成長期に普及した車社会を直撃しました。マイカー自粛が要請され、ガソリンスタンドでは突然の休業に戸惑う人々。

人々の不安は高まり、なぜか日用品の買いだめが始まった。特に顕著だったのが、トイレットペーパー1時間で1週間分の在庫がなくなった店もありました。品切れがさらなるウワサを呼び全国に広がって、砂糖や小麦粉、洗剤などの生活必需品の買いだめに・・・。こうしたパニックは1か月で収まりましたが、石油に依存する日本の姿を改めて印象づける出来事でした。

森アナ 「買いだめする商品が、石油製品だけでなく、砂糖、しょう、小麦粉などにまで広がったというのが驚きですね。」

原元  「実は石油の輸入量も、トイレットペーパーの生産量も減るどころかむしろ増えていたんです。物がなくなるという噂が原因だったんですが、パニックの怖さを思い知らされますね。」

*NHKや民法など、TV各局も深夜放送を打ち切りました。

*アラブ産油国の石油相会議が日本への供給改善を発表したこともあり、翌74年になると事態は落ち着きを取り戻します。

*業者の売り惜しみ便乗値上げ、消費者の買いだめは、79年の第二次オイルショックでは教訓となり、繰り返されることはあまりなかったそうです。


2001.11.1

「きょうの蔵出しニュース」 by「ニュース朝いち430」 

【1984年11月1日 新札発行】17年前のきょう、日本銀行・・・テープカットのそのわけは、お札のデザインが新しくなったのです。用意された新札は1億8200枚。総額にしておよそ8300億円に上りました。みなさんご存知の通り、1万円札は福沢諭吉。5千円札は東京女子大の初代学長を務めた新渡戸稲造。千円札は、文豪・夏目漱石です。実は、3種類ものお札が一気に変わるのは、史上初めてだったんです。折しも、当時の日本はバブルの絶頂期を迎えていました。

森アナ 「以前のお札がその後どうなったか知ってますか?」

原元  「やはり、廃棄処分にされたんじゃないんですか?」

森アナ 「普通の古紙と同じようにリサイクルされ、なんと!!ダンボールなどになったそうです。」

原元  「えー!?知らないで使っていたかもしれませんよねぇ。

森アナ 「そして最近では、2千円札が去年に発行されたんですが、なかなか見かけませんよね。どこに行っちゃったんだろう?

原元  「まさか、もうダンボールっ!になったとか?」(笑)

森アナ 「うっ、まさか・・・」

*当時、お札のサイズが一回り小さくなったということで、このサイズに合わせたお財布も売れゆきがよかったんです。

おそらく世界でもトップクラスの印刷技術をして造られた2千円札だったけどさ、偽札がもしできたら一体どうやって見分けるの?

だってぇ〜、本物ってどんなんだっけ!?

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