信じられません!売れてますっ!!
洒落で始めたような我ら神楽坂女声合唱団の「クリスマス・ディナーショー」のチケットが、飛ぶように売れてますっ!480席用意したのですが、まだろくな告知もしてないのに、なんと300枚も売れてしまいました。
嬉しいというより、正直、戸惑ってます。
だって、お客さまっ!買ってくださるのは嬉しいのですが、この時期、松田聖子やら美川憲一やら、
大御所たちのディナー・ショーが目白押しではありませんか?本当に私たち素人の歌声で良いのですか?
お値段は25,000円ですよ。
後悔はしませんね?
なんて、自信の無さそうなことを言ってますが、実は猛特訓中です!
クリスマス・ソングの合唱をメインとしていますが、動物のチャリティーにふさわしく、ちょっとしたお芝居(コント?)も企画しておりますです。「えっ!?倍賞千恵子さんが・・!?」「きゃあ、あの土井たか子さんが〜・・・!?」など、あっと驚く有名人があんなこと、こんなことをやってしまうかもしれません。
小林カツ代団長いわく、
「美川憲一さんなんか、お一人で40,000円よ。私たちなんか50人もいて25,000円なんだからこっちの方がお得じゃない!」
・・・、得かどうかは判りませんが、損はさせないよう頑張ってます。どうか見に来てやって下さいな。
<チケットのお問い合わせ・お申し込みは>
プランニングオフィスネイチャ tel.045(433)6274 fax.045(433)6578
尚、当日会場となっている恵比寿ウエスティン・ホテルに宿泊される方は、割引となります。予約時にホテルにお申し出下さい。
また、「合唱団に入団したい」という問い合わせも随分と多いようですが、あいにく締め切りとなっております。あしからず。
先日、あの「ライオン・キング」を観て来ました!!
始まって10秒で感動の涙がこぼれるほどの迫力、独創性!動物界のお話なのに、「人間ってスゴイナー」と言うのが、率直な感想です。
そんなに感動したのに、なぜか私の心の中でずうっと引っ掛かってきたことがあります。「ライオン・キング」の看板って、なんか見覚えあるんだよなー・・・。
と、出勤途中の「ゆりかもめ」の窓から四季劇場を見る度悩む。今日はふと近くのビルの屋上に目を移すと、
あっ・・・!
↓
プロミス!
ほぉら、そっくり!!
(私、けっしてヒマな身ではないのですが、「ペイント」使って描いてみました。
なんか、訴えられたりしたらイヤなんで)
でも、あ〜すっきりした。
王よ、長嶋よ、すまん。
私のような野球オンチがON戦を観に行かせて頂きましたっ!
*
昨夜遅く知り合いから一通のメールが届いた。
「突然明日のON戦のチケットが手に入ったんだけど、行きませんか?」
即効、返事一発!!
「お供いたしやす!!」
巷では8,000円のチケットに5万円(!)の値がついているというプラチナ・チケットとなれば、もぉ行くしかないでしょ。
あんま、関心は無いけど、東京ドーム入るのも初めてだし、とりあえず試合よりも客席のムードの方が興味あるな。
で、これがそのチケット様である。私なんかにもらわれて不憫なヤツ。
座席はなんと、バックネット3塁側ベンチ寄り、前から29列目という素晴らしい席であった!
わ〜、選手の顔もベンチにいる長嶋監督も見えるぅ!!
すっげー。いくら私でも、この席の価値くらいは判るぞ。
早速弁当を買い、準備万端で試合開始を待つ。
始球式はなんと田村亮子選手!手を振りながらマウンドへ行くヤワラちゃん、やっぱり顔が松井秀樹に似てると思うのは気のせい?というか失礼?
「さあ、プレイボール!!」
っていうサイレンとか鳴るのかと思ってたら知らない間にもう始まってた。そーいうモンなの?
私はヒイキにしている野球チームは無いので(強いて言えば中日かなぁ。名古屋に居たもんで)、今回はどちらが勝っても負けても構わん。好プレーさえ見られれば。
試合はダイエーのピッチャー永井が不調で、2,3回と巨人が3点を取り、一方的な試合運びになるかと思われたが、ピッチャー交代したとたんあれよあれよという間に大逆転。イキナリ6点も入れられてしまった。その後もダイエーに2点入れられ、8−3。5点差である。9時を回り、ダイエーの勝利を確信した客が帰り始めた。
そこで登場したのが、よっ、桑田真澄!!
たった2回分だけど、次々と3振を奪いまくる。かっこい〜。
く〜、格が違うぜ!最後の最後でプロの技が見れて良かった♪
写真は勝利のインタビューを受ける王監督。
P.S なんでもいいけど、ドームの近くに食いモン屋とか飲み屋とか全然無いぞ!電車乗ってわざわざ飲みに行っちゃったじゃないか!
待ちに待った、本田美奈子LIVEである!
HMV池袋サンシャイン60通り店に現れた美奈子さん、赤いホルターネックのカットソーに赤いパンツで、すっげーキュート!!ほ、細い。
(わ〜、あの本田美奈子が私の隣でメークしてるよ−。)
芸能人には慣れてはいても、やはりファンでいる相手との仕事は特別。舞い上がってしまわないように、ここは一つ打ち合わせでもしてクール・ダウンするか。
原元 「ええっと今回は掛け合いのトークが2回あるんですけど、お仕事やプライベートなお話で何か控えたいことなんてありますか?」
すると美奈子さんは手を止めて振り返り、
「なぁんにも!」
気さくな方だ〜・・・。(「電波少年」風に)
そんな美奈子さんに惚れ直し、気合を入れてステージに向かう。デビュー15周年、そして新曲「Honey」の他にあの「1986年のマリリン」も歌うということで、TBSやテレビ朝日、スポーツ紙まで取材が殺到。
歌とトーク、それに生「マリリン」まで堪能してLIVEは順調に盛り上がっていたのだが、
またやってしまった・・・!
原元 「この15年間でミュージカルやオペラにも挑戦されましたが、16年目はどんなことをやってみたいと思っているんですか?」
美奈子さん 「実は、今度ゲームの声優と主題歌にも挑戦したんです。すっごく難しかったぁ。だって、何も見ないのに、笑ったり泣いたり、『あぁぁぁぁ・・・』とか言ったりしなきゃならないんですよぉ」
原元 「へぇ。ちなみにその『あぁ〜ん』っていうのはどんなシーンなんですか?」
美奈子さん 「え?それ、そーいう声じゃなくて、私、泣き声のつもりなんですけど・・・。」
原元 「げ!?違うのぉ?(だって結構セクシーだったんだもん)」
私の手をぎゅっと握って「違う、違う」と首を横に振る美奈子さん。TVやスポーツ紙の取材陣の前で超恥かいたけど、うれし。きゃ。
プレイステーション2用ゲームソフト「Dog of Bay」は、12月14日マーベラスエンターテイメント発売です。美奈子さんの「あぁぁぁぁ・・・」を確かめよう!
本番が終わった後の控え室で、記念撮影!
いやぁん、顔ちっちゃ〜い・・・!
*
さて、大雨にも関わらずこのHPを見て来てくれた方が何人かいらっしゃいました。「原元さーん」と声を掛けてくれて嬉しかったな。どうもありがと。
でも・・・、
「サインお願いします。」
「お名前は?」
「隅田です。ス・ミ・ダ。漢字は・・・、」
「あ、ごめん。お断りマス。漢字書くと間違えちゃうんで、ひら仮名かカタカナ、もしくはローマ字しか書きません。」
「・・・、ひらがなでお願いします。」
なんて横柄なヤツなんだ、私って!だってさあ、地下鉄を[近鉄」って書いちゃったり、小錦(こにしき)さんを「小綿(こわた)さん」て書いちゃった暗い過去があるんだもん。(私、国語科の教員免許持っとりますが、返上したい気分です)
それに・・・、実は今まで、隅田(すみだ)さんのことを隈田(くまだ)だと勘違いしていたくらいなんだから!(隅田さんごめんねぇ。)
すっげー、本田美奈子!
「本田美奈子15周年リサイタル〜歌革命」に行って来た。「1986年のマリリン」で大ブレイクし、東洋のマドンナと呼ばれたアイドルも、いつの間にか15年選手。非常に感慨深い・・・。
何を隠そうワタクシ、高校生の頃は「本田美奈子にソックリと評判」のソバージュヘア!当時おニャンコ旋風にも巻けず、完璧な振り付けで「〜マリリン」歌ってました。1年G組のみんな、覚えてるかな?
そんなわけで他人とは思えない本田美奈子氏であるが、デビュー当時から評価が高かったその歌唱力は留まる所を知らず、「アイドル時代の歌を聞きながら人生で3番目くらいに良かったあの時代を思い出すか・・・」なぁんて私のノスタルジーは簡単に吹っ飛んでしまった!
だってぇ、あのアイドル本田美奈子が、「天城越え」から「オペラ蝶々夫人 ある晴れた日に」まで!そう演歌からオペラまで見事歌ってのけたんだもん!ひえ〜!ここまでレパートリー広い歌手って、世界でもそういないぜ。いつの間にこんな・・・!!
もちろんお約束の懐かしのヒット・メドレーもありましたよん。振りもノリノリで。いやぁ、腰がうずいたね、あたしゃ。
さてさて、本田美奈子さんのデビュー15周年を記念してリリースされたマキシシングル「Honey」のお披露目ライブが行われます。
20日(金)18:00〜、HMV池袋サンシャイン60通り店にて、歌あり、トークあり、撮影会や握手会(300枚限定の先行発売でお買い上げ頂いた方)もあります!なんでこんなに詳しいのかって??
だって、司会はなんとこの私なんだもんーん!
スタッフの方も私がファンだと知らずに声を掛けてくれたらしい。へへっ、一緒に踊ってやるぅ!
観に来てね〜ん♪
「なんで終わっちゃうんですか!?」「子供の頃から見ていたのに・・・」と惜しまれつつ(マジで)、「はーい朝刊」(日テレ系全国ネット)が24年の歴史に幕を下ろした。
今夜の打ち上げでは歴代スタッフが集まり、私のパートナーだった浜崎紘一氏(元モスクワ支局長)や大野岩男氏(元政治部記者)といった懐かしい面々にも会うことができた。1年半振りに顔を見たら、なんだか特別な想いが込み上げる。「戦友」だもんね。
昭和51年に「読売新聞ニュース」として放映開始以来今日にいたるまで、「明日の朝刊」、「はーい朝刊」とリニューアルをしながら、読売の紙面を全国の視聴者にお伝えしてきた。
今でこそ当たり前の光景となった「TVで新聞の紙面を紹介する」というスタイルも、元はと言えばこの番組から!
放映開始当時は、「新聞を買う人が減るんじゃないか!?」「こんな夜中に誰が見るんだ?」との声もあがったそうだが、蓋を開けてみれば、深夜帰宅のサラリーマンから受験生、水商売のオネーサマ方、果ては「スクープがないか」と目を光らせる他紙の新聞記者まで、幅広い視聴者に支えられ、気が付けば全国でも珍しい長寿番組となっていた。
私がこの番組を担当したのは、96年4月から3年間。名古屋CBCの局アナを辞め東京に出てきて(と言うか帰って来て)、フリーアナウンサーとして初めての仕事。私の予想以上に、その後の私の運命を左右する番組になった。
まずそれまでと違ったのは、ニュース原稿として、新聞記事のリライトをやらされたこと。つまり、新聞の紙面の為に記者が書き上げた原稿を放送用に書き直すのである。新聞独特の言い回しをTV用に変えたり秒数を計算しながら撮れた映像に合わせて構成し直すのである。(マスコミのくせに)活字信奉者であった私には、発行部数1100万部(ギネスブック載ってます!)を誇る大新聞の記者が書いた原稿に、私なんぞがどう取り組めばいいのやら途方にくれてしまったこともある・・・。
そして、取材。ネタ探し→アポ取り→技術スタッフの発注→取材→編集→ナレーション原稿書き→放送まで、全てがキャスターに任された!(ディレクターもADも無し!)
世間一般にはキャスターなら当然と思われているであろうこの作業も、放送局の規模が大きいほど作業は細分化されそれぞれのスペシャリストが担当するので、実際にアナウンサー自身が全ての役割をこなす機会は少なくなる。私のいたCBCは準キー局と呼ばれ、やはり規模が大きい方であったので、こんな機会はほとんど無かった。
しかも取材は放送当日の昼間!!放送時間が刻々と迫る中、取材先からバタバタと帰ってくるやいなや、編集もしなければならないわ、メークもしなきゃならないわ、かなり修羅場である。
しかし、深夜1時30分の生放送を迎える頃にはさぞかし疲労感でいっぱいだろうと思いきや、これがまた達成感で胸一杯なのである。自分の取材リポートがある時と無い時では顔つきが違うと言われるくらいだ。
そう、私はこの番組で初めてキャスターとして扱われたのだ。アナウンサーになって5年目、「こういうことがやりたかったのよ!」と、初めてキャスターとして実感を味わった。
「やりたいと思っていた番組がやってみると陳腐だったりするもんなのよ。」と昔先輩アナウンサーが言っていた。
「やりたいと思った番組がやってみたら予想以上に良かった」私は、本当に幸せモンだ。
終わりましたね、オリンピック。
よく聞かれる質問に、あえて自分から先に答えておきます。
一番印象的だったシーンは?
女子柔道48s級でヤワラチャンが金メダルに恥ずかしそうに「チュッ」とキスする横で、銅メダルの選手がカレシと抱擁、激しいDキスを繰り広げていた瞬間かな。日本でそんなことやったらマスコミは困るだろーなー。
感想は?
強い選手であることと柔道家であることは必ずしも一致しないのだね・・・。もっと武道の精神を伝えたいと思いました。
*